後輩:「冒頭の思考実験を除けば、つまらない話ですね。全くワクワクしませんでした」
江端:「正直、そう言うだろうとは思っていたよ。今回のコラム、ほとんど、私たちの研究報告書みたいなものだったからなぁ」
後輩:「まあ、それでも得るものはありましたよ。私たちの『数字』というものに対する認識が明らかになったということです」
江端:「ん? 数字は数字だろう? 『ものさし』であり『比較の道具』だろう」
後輩:「江端さん。それは私たち研究者のビジョンです。数字は『権力』であり『暴力』ですよ。江端さんが今回のコラムで書いていることじゃないですか」
江端:「そんなこと書いたっけ?」
後輩:「江端さんが、今回のコラムで意図せず明らかにしてしまった事実は2つあります。(A)数字の中には「恣意的に作られるもの」があり、そのような数字の多くは「数値目標」である、(B)「数値目標」の多くは、その算出根拠まで遡って検証されることはない、です」
江端:「ああ、それは良く分かる。今回、「防衛費1%枠(日本の防衛費をGNPの1%以下に抑制する政策)についても、その算出根拠を調べてみた」
後輩:「で、何か分かりましたか」
江端:「『算出根拠はない』ということが分かった。”1%”は、その数字のゴロの良さだけみたい。実際には、GNPではなく、国家予算に対する比率で語るべき話だと思うけどね」
後輩:「『数値目標』という考え方が主流になってきたのは、ここ10年くらいのようです。これ企業が採用しだしたKPI(Key Performance Indicator[重要業績評価指標])というものを、政策にも取り入れようという動きから出ているようです」
江端:「でもKPIって、一応、科学的アプローチ(観察→仮説→実験→検証)から導かれる数値だったと思うけど」
後輩:「政治科学(political science:ポリティカル・サイエンス)という分野は、昔からちゃんとあったのですけど、KPIが取り入れられてきたのは、いわゆるブームというやつでしょうね」
江端:「まあ、それはさておき。今回の『障害者の就労』は、他の働き方改革の項目と違って、数字というか、正確には”数式”と”推測データ”が全面に押し出されてきていて、すごい違和感があるんだ」
後輩:「江端さん、それは、『数値の表記』ですよ。例えば、この4月から新制度で施行されている『労働基準法』と、江端さんが今回解説された『法定雇用率』との決定的な違いが、何だか分かりますか?」
江端:「いや、全然分からない」
後輩:「整数と小数点の違いです。もっと具体的にいえば、10または5で割り切れる整数と、小数点以下1桁以上と%(パーセント)表記がでてくる数の違いですよ」
江端:「本当に全然分からないんだけど」
後輩:「うーん、そうだなぁ。江端さんにとって”90分”と”1時間半”に違いはありますか?」
江端:「あるわけないだろう。両者は完全に同じものだ」
後輩:「そこです。多くの人にとって ―― 私たちのような数理系の人間を除き ―― 90分と1時間半は全く別ものなのです。”1分が90回続く時間”と、”1時間にその半分を加えた時間”は、別世界の異なる時間概念です」
江端:「本当の本当に、何言っているのか、全然分からないんだけど」
後輩:「いいですか。『週50時間以内』と、『2.421%』では、後者の数字が圧倒的に強いのです。この小数点と”%”の表記は、人々から、『逆らう気力を失わせる力』が存在するのです。ですから、国民の大半はもちろん、マスコミですらも、もう小数点と"%"で表記された数値に対して、検証する気力を失っているのです。私が知る限り、政府の発表した小数点と"%"に疑問を呈した一民間人って、江端さんだけですよ」
江端:「どうやら『私を褒めている』……という話ではなさそうだな」
後輩:「江端さん。今回のコラムの最後に、『政治や政策に対して、専門家任せにせず、自分で考えた「数字」という言語で議論を始めても良い頃だと思うのです』などと書いていましたよね。これこそが、江端さんが世間を理解していない証拠です」
江端:「そうかな?」
後輩:「以前、江端さんは、『英語に愛されないエンジニアのための新行動論』の第1回で、“「英語で困ったことは一度もない」、「英会話は日本人の常識だ」と考えている人は対象外です。私はあなたが嫌いです。”って、記載していましたよね。これと同じです。
今回のコラムの最後の一行で、江端さん、読者からものすごく嫌われましたよ」
⇒「世界を「数字」で回してみよう」連載バックナンバー一覧
江端智一(えばた ともいち)
日本の大手総合電機メーカーの主任研究員。1991年に入社。「サンマとサバ」を2種類のセンサーだけで判別するという電子レンジの食品自動判別アルゴリズムの発明を皮切りに、エンジン制御からネットワーク監視、無線ネットワーク、屋内GPS、鉄道システムまで幅広い分野の研究開発に携わる。
意外な視点から繰り出される特許発明には定評が高く、特許権に関して強いこだわりを持つ。特に熾烈(しれつ)を極めた海外特許庁との戦いにおいて、審査官を交代させるまで戦い抜いて特許査定を奪取した話は、今なお伝説として「本人」が語り継いでいる。共同研究のために赴任した米国での2年間の生活では、会話の1割の単語だけを拾って残りの9割を推測し、相手の言っている内容を理解しないで会話を強行するという希少な能力を獲得し、凱旋帰国。
私生活においては、辛辣(しんらつ)な切り口で語られるエッセイをWebサイト「こぼれネット」で発表し続け、カルト的なファンから圧倒的な支持を得ている。また週末には、LANを敷設するために自宅の庭に穴を掘り、侵入検知センサーを設置し、24時間体制のホームセキュリティシステムを構築することを趣味としている。このシステムは現在も拡張を続けており、その完成形態は「本人」も知らない。
本連載の内容は、個人の意見および見解であり、所属する組織を代表したものではありません。
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