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量子もつれ 〜アインシュタインも「不気味」と言い放った怪現象踊るバズワード 〜Behind the Buzzword(5)量子コンピュータ(5)(3/9 ページ)

» 2020年08月31日 10時30分 公開
[江端智一EE Times Japan]

驚がくの「量子もつれ」

 今回から2量子ビットの話に入ります。ならば、その次は3量子ビット、4量子ビットとして、延々に続くのかというと、そういう訳ではありません。というのは、”2量子ビット”まで理解すれば、あとは、数学的帰納法的に、”n量子ビット”まで拡張できる ―― らしいのです。

 なぜ、「らしい」などと言っているかというと、私が、その理屈について、いまひとつ肚に落ちていないからです。

 まあ、どうしても分からなかったら、「泣き付く先」に心当たりがあるので、その人に頼ろうと思っています(まあ、古典ゲートのNANDと似たような話になるんだろう、と思っていますので、あまり不安は感じていません)。

[Tさんツッコミ!]万能な量子計算は2量子ビットまでの量子ゲートの組み合わせにより実現できますが、量子回路や量子アルゴリズム、量子誤り訂正の設計には、N量子ビットの量子ゲートの理解が必要になります。

 さて、2量子ビットのデバイスイメージと制御方法については、後述するとして(基本的には、1量子ドットビットの考え方の拡張です)、今回、私が、この1カ月間の休暇(夏季休暇を含む)も費やして、調べていたのは「量子もつれ」です。

 このコラムの監修をして頂いている、「量子コンピュータ大好きのTUさん、通称『量オタのTさん』」から、前回のコラムで、

[Tさんツッコミ!]これは間違いです。「重ね合わせ状態」を作り出すゲート、が正解です。江端さん、「重ね合わせ状態」と「もつれ状態」は違うものです。もつれ状態は、CNOTなどの2量子ビットゲート処理も必要です。

との指摘を受けたことがきっかけにはなったのですが ――。

 この「量子もつれ」こそが、量子論100年論争のメインターゲットであった、「量子の局所性/非局所性」のどストライクの話であることを知り、がく然としました。

 加えて、これが、世の中に壮大な誤解をばらまいている「量子テレポーテーション」の病巣(?)であることも分かってきて、ウンザリした気持ちになっていました。

 そして、この私の直感は、的中します。それは、私の現時点での常識を覆す程の、大パラダイムシフトであったからです。

 結論からお話します。「量子もつれ」とは、以下の図で示される、(私にとっては)驚愕動転の量子現象です。

 これが冒頭でお話した「”夢枕”通信」につながります。

 対になった量子(後で説明します)を、とんでもなく遠い場所に置いて、その一方を観測して量子状態を確定させたら、その瞬間に他方の量子状態が”量子状態のまま確定する”ということであり ―― 理解不能な現象です。

 2つの量子の間に、光ケーブルがある訳でもなければ、電波が飛んでいる訳でもありませんし、そもそもそれらがあったとしても、光も電波も、光速を突破して伝わることはできない ―― なるほど、カルト宗教が飛び付くのも無理からぬことかと思います。

 そもそも、私は、これ、最初に理解した時は「うそだ」と思いましたし、実験的に検証され尽した(後述します)現時点であっても「うそであって欲しい」と思っているくらいです。

 ちなみに、量子論を学ぶ人は、誰もが「量子の重ね合わせ」と「量子もつれ」の洗礼を受けることになっているようです。

 著名人の言葉を集めてみました。

アインシュタイン:「(量子論は)すばらしく頭の良い偏執症患者が、支離滅裂な考えを寄せ集めて作った妄想体系に見える」

ボーア:「(量子論に)はじめて出会った時にショックを受けない者に、量子論は理解できない」

パウリ:「(量子論のことなど)聞いたこともない、というのならよかった」

マレー:「(量子論は)真に理解している者はひとりもいないにもかかわらず、その使い方だけは分かっている」

 歴史的な天才たちを持ってしても、この”言”です。

 ましてや、著名人でも天才でもない私(江端)が、

江端:「この(量子コンピュータの)連載は、早々に引き上げよう」

という”言”を発するのは、無理からぬことです ―― この言葉が、後世に残るかどうかは、さておき。

「量子もつれ」アンチ派の主張

 本連載の第1回で、「量子の重ね合わせ」について、シュレーディンガーさんと、アインシュタインさんが、徹底的にネガティブな主張を続けていたことを説明しました。

 アインシュタインさんは、「神はサイコロを振らない」と主張し続けて、量子力学における確率論の考え方を、ガンとして認めませんでした*)

*)ちなみに現在は、「神は、四六時中、サイコロを振りまくっている」でケリがついています。ケリがついていなければ、IBMやGoogleの実験用の量子コンピュータは1mmも動いていないハズです。

 このアインシュタインさんの主張は、「量子の重ね合わせ」よりも、むしろ「量子もつれ」の方にウエイトが重かったのではないかと思うのです。「量子もつれ」は、相対性理論を脅かしかねない理論でもあったからです(後述します)。

 ですから、確率論に基づく量子論を主張するボーアさん一派の主張を、アインシュタインさん(シュレーディンガーさん、ベルさん、その他の方々)は、認める訳には行かなかったのだ ―― と、私(江端)は考えています。

 「量子もつれ」に関して、アンチ量子論派の頭目である、アインシュタインさんが放った必殺のロジックが、「EPRパラドックス」です。アインシュタイン=ポドルスキー=ローゼンという3方による思考実験に基づくパラドックスのこと(EPRは、この3人の頭文字です)で、簡単に一言でまとめれば「相対性理論と両立しない量子論は、変だろう?」という内容です。

 さて、このままでは、アイシュタインさんと、ボーアさんの「ないもーん」「あるもーん」の子どものケンカになってしまいます*)

*)実際には、アインシュタインさんの「神はサイコロを振らない」に対して、ボーアさんは「神が何をなさるかを貴方が語るなかれ」というような応酬をしたそうです。

 で、この論争は決着は付かないまま、アイシュタインさんは1955年に、ボーアさんは1962年にお亡くなりになりました。

 しかし、この闘いには決着がついていません。

 結局のところ、この論争は、ケチのつけようのない、穴のない、完璧な実証実験以外の手段では、決着が付けられないのです。しかし、実証実験をやるにしても、どんな実験をすれば良いのか、全く分からない状況でした。

 1対の量子をどうやって作るのか、作ったとしてもどこに貯蔵するのか、今でこそ量子状態の寿命(コヒーレンス時間)は0.0001秒と長いです(これでも十分長いです)が、当時、量子状態を維持するどころか、量子状態を作る材料すらメドが立っていなかったハズです(量子コンピュータは1980年に、理論から始まっていますし、ハード開発は、2000年に入ってからです)。

 そもそも、1つの量子状態の量子を「とっつかまえて、調べる」などということは不可能です。観測すれば、量子状態は必ず壊れるので、量子状態を直接知る手段はありませんし、これからもできないでしょう。

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