今回は、最終回とは別に「総括編」をお届けします。「英語に愛されないエンジニア」と「英語に愛されるエンジニア」。どちらがよかったかと問われれば、私は間違いなく後者を選ぶでしょう。「英語に愛されないことで、別の幸せがあった」などと締めくくるつもりは毛頭ありません。ただし、本連載で展開してきた新行動論のバックボーンにあったのは、常に“愛”でした。
われわれエンジニアは、エンジニアである以上、どのような形であれ、いずれ国外に追い出される……。いかに立ち向かうか?→「『英語に愛されないエンジニア』」のための新行動論」 連載一覧
この連載で登場してきたエンジニアは、誰がどう見たって、海外で働ける人材としてエントリーされるような人間ではありません。
英語スキルの問題にとどまらず、仕事全般に対しても、要領が悪く、勘所やツボも押さえているようには見えません。世界中のどこに行っても無用なトラブルに遭遇し、想定外の事件や事故に巻き込まれています。
根本的に学習機能を欠いており、遭遇したトラブルへの対応はできているのかもしれませんが、そこで学んだ対処法を、それ以外のトラブルに拡張する能力がありません。
本連載の「「英語に愛されないエンジニア」のための新行動論」を主張する人物からは、明確な課題(「英語に愛されない」こと)に対して、真正面から取り組み、正々堂々と解決しようというすがすがしい人格は、一片たりとも見えてきません。
基本的に、トラブルを回避するために別の新しいトラブルを生み出し、それらに対して場当たりの対応を行っています。
その思考形態、行動パターン、アプローチ、どれをとっても姑息(こそく)で、浅学、狭量、卑怯の3つの単語だけで語り尽くせる人物です。
つまり、私です。
今、私は、本連載を全部読み返しているのですが、たかだか20年ちょっとのエンジニア人生で、これだけの数の地雷を踏みまくってきたエンジニアというのは、相当に珍しい存在なのではないか、と思います。
私が「英語に愛されないエンジニア」であったこと――。たったこれだけの事で、私のエンジニアの人生は、連載32回分にも及ぶ膨大なトラブル対応を余儀なくされました。
では、もし私が「英語に愛されるエンジニア」であったのであれば、 ―― 特別な努力もなく、当たり前のようにTOEICでハイスコアをたたき出し、外国の人と何の問題もなく日本語で行うかのようにコミュニケーションを行い、そして、そつなくエンジニアとしての成果とキャリアを積み上げられる日々 ―― それは、私にとって幸せであっただろうか、と自問するなら、
私は、「『英語に愛されない』ことで、別の幸せがあることに気がついたのです」などというような、うそくさいキレイな言葉でこの連載を総括するつもりはありません。
はっきり申し上げましょう。
私は、この連載によって、多くの読者の皆さんから声援を受け、ニュース媒体で紹介され、いろいろな方へのインタビューを行い、Webサイトの閲覧数も増えました。――が、そんなことより、
このような数多くの地雷を踏むこともなく、そしてこのような連載を思い付くことすらもなく、「『英語に愛されない』って変な言い方だね」と無邪気に笑えるエンジニアとして一生を全うできれば、私は、そっちの方が断然よかったのです。
私は、何度でも皆さんに申し上げます。
「英語に愛されない」という事実を、後天的な努力でひっくり返すことはできません。そのような努力は全て徒労に終わります。
「英語に愛されない者は、何をしても愛されない」という事実を、まず受け入れてください。その事実さえ受け入れていただければ、私の全32回の連載の内容は、あなたの中で自動的に発動するハズです。
万が一、「ひっくり返すことができた」という事実であったとしても、私だけは絶対にそれを信じません。私が、それを客観的な事実として受け入れてしまったら ―― 私がかわいそう過ぎるじゃないですか。
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