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近代科学の創始者たちに、研究不正の疑いあり(天動説の「再発見」編)研究開発のダークサイド(8)(2/2 ページ)

» 2017年03月22日 10時30分 公開
[福田昭EE Times Japan]
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地動説の母体となった、天動説の「再発見」

 「数学集成(アルマゲスト)」の数学的な内容を正確に伝えたラテン語訳を完成させたのは、オーストリアの天文学者ゲオルク・ポイルバッハ(プールバッハとも表記)(Georg Purbach、1423年5月30日生〜1461年4月8日没)と、その弟子でドイツの天文学者レギオモンタヌス(Regiomontanus、1436年6月6日生〜1476年7月6日没)である。

 レギオモンタヌスは、1464年に「数学集成」のラテン語抄訳本「数学集成の摘要」を出版する。それまでの「数学集成」のラテン語翻訳書はアラビア語からの重訳が普通であり、翻訳の品質は決して高くなかった。天文学者や数学者などが学問的に検証するにふさわしい水準には達していない。ところがレギオモンタヌスは極めて優れた天文学者・数学者であり(彼は11歳で大学に入学している)、ギリシア語を学ぶことによって原典から直接、ラテン語の訳本を完成させた。品質の高い翻訳と学者の検証に耐えられる「数学集成(アルマゲスト)」が西欧社会に初めて登場したのである(参考:山本義隆、『世界の見方の転換』、第1巻、みすず書房、2014年刊行)。

 同じ15世紀後半には、グーテンベルクが活版印刷技術を発明する。そして1496年には、印刷によってラテン語抄訳本「数学集成の摘要」が出版される。このことの意義は極めて大きい。

 「『数学集成』自体には、観測データから惑星軌道のパラメータをどのように導いたかが詳しく書かれていたのであり、レギオモンタヌスの『摘要(筆者注:「数学集成の摘要」)』がその詳細をより明晰に復活させ説明した。従って『摘要』に依拠してプトレマイオス理論の形成過程を自分の手で検証し、そのモデルの根拠を吟味することによって、天文学を学ぶ学生たちは努力次第で既存のモデルを批判し他のものと取り換える能力を身につけることが可能になった」(山本、『世界の見方の転換』、第1巻、209ページ)

天動説(地球中心説)から地動説(太陽中心説)への流れ(2) (クリックで拡大)

「数学集成(アルマゲスト)」の理解と同時に、その批判が始まる

 「『摘要』は古代の数学的天文学のルネサンス期における真の発見である。というのも、それは天文学者に対して、それ以前には達成不可能であったプトレマイオスの理解を与えたからである」(山本、『世界の見方の転換』、第1巻、210ページ)

 皮肉なことに、「数学集成(アルマゲスト)」を正しく理解することで、同書の最初の批判者となったのもレギオモンタヌスだった。「数学集成(アルマゲスト)」に基づく天体運動の予測値が、レギオモンタヌスによる天体観測の結果とは大きく食い違っていたのである。(文中敬称略)

(次回に続く)

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