もっとも、このメリットとデメリットの、どちらが大きいかというと、時代(景気、職種、被雇用者の属性(性別、経験、資質))によってもさまざまに変わります。
そこで、「非正規雇用」の歴史について、ざっくり調べてみました。
古来、労働というものは、一生涯、一身専属に存在していた、というのが定説のようです。具体的に言えば、大工を職業としている人は、大工としてその一生を全うし、大工の人が、夜の間に、ホストクラブで働くような労働形態は、産業革命後ですら、存在しなかったようです(もちろん、例外はあったでしょうが)
このパラダイムを大きく変換させたのが、「小売り」というサービス業の発生といわれています(要するに、接客などの店員のことです)。小売業の場合は、一身専属の労働とするより、時間単位で働く形態の方が、使用者(会社)にとっても、従業者(社員)にとっても都合がよかったからです。
さらに、ここ100年程度の日本の「非正規雇用」についても調べてみました。その結果、「非正規雇用」は、名前や内容を変えながらも、常に存在し続けていたことが分かりました。
これらの「形を変えた非正規雇用」は、「好景気」「不景気」に翻弄(ほんろう)されつつ、ある時は、社会の矛盾を抱える深刻な社会問題となり、またある時は、社会の矛盾を解決する便利なシステムとして機能していたのです。
まず90年前の、1930年(昭和5年)には、「非正規社員」と同じ意味で「臨時工」という言葉がありました。
当時、「臨時工」に対する社会的な保証が存在していないため、突然解雇を言い渡されることに対する裁判も行われており、労働組合が「臨時工制度の廃止」や「臨時工の常用化」をスローガンとして、労働争議を行っていました。
「臨時工」というと、工場労働者のイメージが強いのですが、実際のところ、女性の事務職なども含まれていて、当時の臨時工の比率は、男女比が3:1くらいでした。
戦後の不景気で、この「臨時工」の問題は深刻さを増すばかりだったのですが、1960年ごろ、突然きれいさっぱりと消滅します。朝鮮戦争を景気とした戦争特需によって、日本中が「正社員」を奪い合うという高度経済成長という時代に突入したからです。
では、その後「非正規雇用」がなくなったかというと、そんなことはありませんでした。
高度経済成長時に登場した家庭電化製品(冷蔵庫、掃除機、洗濯機)によって、いわゆる「主婦」と呼ばれていた女性たちの手がすくようになり、『特に生活には困っていないけど、社会と接点を持っていたい』と考え始めた彼女たちが、「主婦パート」という形で、社会に労働力を提供し始めたのです。
ですから、この「主婦パート」こそが、女性の社会進出のきっかけになった、とも考えることもできます。しかし、この「主婦パート」とはあくまで社会の補助的な労働力としてのみ見られ続け、「家事や育児は女性のもの」という概念は内挿されたままでした。
本来、1965年代の「主婦パート」の考え方と、1985年の「男女雇用均等法」成立後の考え方は、バッサリと切断された上で、区別されなければならなかったはずです。
それが現在に至るまで、いまだに、「育児や家事を女性に押しつけ」たまま、平気な顔をしている社会を維持していることは、わが国が、この「切断」と「区別」に失敗していることを意味しています。
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