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誰がドライエッチング技術を発明したのか湯之上隆のナノフォーカス(2) ドライエッチング技術のイノベーション史(2)(5/5 ページ)

» 2018年09月28日 11時30分 公開
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総括:「ドライエッチング技術を誰が発明したか」

 ドライエッチングの技術史を、主として米国特許および論文で検索した結果、以下のことが明らかになった。

【1】LFE社のBersinが1966年に、プラズマを用いたアッシング装置を発明した。

【2】Bersinが発明した装置を用いて、Signetics社のIrvingらが1969年に、酸素プラズマによるレジストのアッシング、酸素とハロゲンの混合プラズマによるSiのエッチング、塩素プラズマによるAlのエッチングを発明した。これが世界で初めてのプラズマエッチングの発明であり、アッシング装置にハロゲンを導入するという着想がプラズマエッチングの可能性を飛躍的に拡大した。

【3】スクライブを目的としたIrvingらの発明を、LFE社のJacobが1971年に、半導体の微細パタンの形成に応用した。また、英国ITTのHeineckeが1973年に、CF4に水素などの還元性ガスを添加したプラズマにより、SiO2がSiやSiNよりも高速にエッチングできる技術を発明した。還元性ガスの添加という発想が、SiO2の選択エッチングの実現につながった。

【4】ここまでのプラズマエッチングは、バレル型装置による等方性エッチングだったが、異方性エッチングの基礎となる反応性イオンアシストエッチングを、日電アネルバの細川らが1973年に、平行平板型装置を用いて発明した。

【5】その約2年後の1975年に、IBMのHarvichuckらが、塩素プラズマなどでAlが高速にエッチングできるRIEを発明した。IBMはその後、1977年にBondurらがSiのRIEを発明し、SchwartzらがSiとSiO2のRIEを発表した。その結果、半導体業界では、RIEという言葉が定着し、細川らの業績は忘れ去られていった。

【6】RIEのイオンアシストの原理は、IBMのCoburnとWintersが解明したことになっているが、実際は、IBMのSchwartzらの方が先にその原理に気づいていた。

 筆者らは、かつてはドライエッチング技術者だったが、その技術史がこれほど奥深いものだったことに、今さらながら驚かざるを得ない。次回は、反応性イオンエッチングの最初の発明者だった日電バリアンが、なぜ、イノベーターになれなかったかについて考察を行う。

(次回に続く)

⇒連載「湯之上隆のナノフォーカス」記事一覧

筆者プロフィール

湯之上隆(ゆのがみ たかし)微細加工研究所 所長

1961年生まれ。静岡県出身。京都大学大学院(原子核工学専攻)を修了後、日立製作所入社。以降16年に渡り、中央研究所、半導体事業部、エルピーダメモリ(出向)、半導体先端テクノロジーズ(出向)にて半導体の微細加工技術開発に従事。2000年に京都大学より工学博士取得。現在、微細加工研究所の所長として、半導体・電機産業関係企業のコンサルタントおよびジャーナリストの仕事に従事。著書に『日本「半導体」敗戦』(光文社)、『「電機・半導体」大崩壊の教訓』(日本文芸社)、『日本型モノづくりの敗北 零戦・半導体・テレビ』(文春新書)。

有門経敏(ありかど つねとし)Tech Trend Analysis代表

 1951年生まれ。福岡県出身。大阪大学大学院博士課程(応用化学専攻)を修了後、東芝入社。2001年、半導体先端テクノロジーズ出向を経て、2004年、東京エレクトロン入社。技術マーケテイングと開発企画を担当。現在、Tech Trend Analysisの代表として産業や技術動向の分析を行っている。


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