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NORフラッシュの市場が順調に立ち上がる(1989年〜1991年)福田昭のストレージ通信(223) フラッシュメモリと不揮発性メモリの歴史年表(7)(2/2 ページ)

» 2022年07月29日 11時30分 公開
[福田昭EE Times Japan]
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爆発的に成長したインテルのNORフラッシュ事業

 NORフラッシュメモリの事業化で先頭を走ったのはインテルである。インテルは1980年代前半までUV-EPROMの大手ベンダーであり、UV-EPROM事業から大きな利益を得ていた。もちろんUV-EPROMの弱点は承知しており、1980年には標準型EEPROMの「2816」を発売する。しかし「2816」のメモリセルは選択トランジスタと記憶トランジスタの2トランジスタセル(2Tセル)であり、シリコンダイの製造コストではUV-EPROMに比べてかなり高くついた。「2816」はバイト単位の電気的なデータ書き換えという高い機能を備えているものの、価格の高さが災いして売れ行きは芳しくなかった。またUV-EPROMの売り上げへの影響を恐れたインテルは、「2816」に続くEEPROMの開発に消極的だったとされる。

 ところが2つの想定外がインテルを襲う。1つは1980年代前半に起こった日本の半導体メーカーによるUV-EPROMの値下げ攻勢である。1980年代半ばの日米半導体貿易摩擦はDRAMのダンピング販売で知られるが、UV-EPROMのダンピング販売もDRAMと同様に重要なテーマだった。1980年前後の当時、DRAMとUV-EPROMはいずれもインテルの主力製品である。1985年にはDRAM事業からの撤退をインテルは決断する。

 もう1つは1984年12月に東芝がNORフラッシュメモリ技術、言い換えると1トランジスタセル(1Tセル)のEEPROM技術を国際学会で発表したことだ。NORフラッシュ技術の動作証明は、近い将来に、数多くのNORフラッシュメモリメーカーが誕生することを意味する。

 これら2つの想定外によってインテルは、NORフラッシュメモリの開発を本格化させる。言い換えると、傷だらけのUV-EPROM事業に見切りをつけ、NORフラッシュメモリ事業の立ち上げに膨大なリソースを注ぎ込んだ。1987年には256Kビット品のサンプル出荷を始め、1988年には量産を開始する。1989年には512Kビット品と1Mビット品の製品化を発表した。

 IEEEが2015年に開催した、フラッシュメモリの歴史を振り返るイベントで配布された資料によると、インテルのNORフラッシュメモリの売り上げは1987年から1991年までに年率4倍という爆発的な成長を遂げた。1991年には売上高が約1億米ドルに達したという。

インテルのUV-EPROMとフラッシュメモリ(NORフラッシュメモリ)の売り上げ推移。縦軸には単位がない。1991年にはNORフラッシュメモリの売上高が約1億米ドルに達したとされているので、縦軸は下から1億米ドルずつの目盛りだとみられる。IEEEが2015年に開催したイベントの資料から[クリックで拡大]

(次回に続く)

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