NECが「シリコンオーディオ」を発表すると、社内の事業部や外部企業などから商品化の問い合わせが相次いだ。特に有望だったのは、全国一斉に実施される大学受験生向け試験(いわゆるセンター試験)の英語リスニングテストだったという(芹沢、杉山、「標準化が企業を生かす」、『情報処理』、vol52、no.11、p.1459、Nov. 2011)。
英語リスニングテストでは通常、スピーカーから英文を流す。この方法だと、会場で受験生が座る位置によって聞こえやすさが変化する、すなわち公平さが担保されないという問題が生じる。そこで、それぞれの受験生にプレーヤーを貸与すれば、理論的には聞こえやすさの違いがなくなる。大学受験の共通試験に限らず、社会人向けの英語能力検定試験にも使えそうな用途である。
大学受験生向けリスニングテストの商談では、テストに使用したプレーヤーは再利用せず、廃棄するという条件だった。プレーヤーの保管や保守などの手間を減らすためである。一見すると極端な低価格を要求されそうな案件だが、実際にはかなり高い価格が提示されたようだ。かなりの好条件にもかかわらず、原価の積み上げだけで顧客が提示した価格をはるかに上回ってしまった。商談は成立しなかった。
ところが後になって振り返ると、当初は原価割れでも受注すべき案件だったと当事者は大いに悔やむ(芹沢、杉山、同上)。いくつかの可能性に思い至らなかったからだとする。まず、毎年50万台を販売する大型案件であり、量産効果によって原価が大幅に下がること。次に宣伝効果、すなわち受注実績によって社会人向け英語能力検定試験への展開が見込めること。また自社の国内工場による生産ではなく、製造コストの低い海外工場に発注できること。さらにはフラッシュメモリのビット単価が急速に下がっていくこと。これらのコスト削減要因を考慮せずに、リスクを取らなかったことが大きなビジネスチャンスを失うこととなった。
そして当時、フラッシュメモリを記録媒体とする携帯型オーディオプレーヤーを構想していたのはNECだけではなかった。1995年にはドイツのオーディオベンチャー企業ポンティス(Pontis)がMMC(MultiMedia Card)を記録媒体とする携帯型MP3プレーヤーをシーメンス向けに試作していたのだ。この逸話については次回に述べたい。
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