後輩:「江端さんも言っていますが、40代以上の大人は、『ITというものが、基本的にウソつきであり、使えないものである』ということを、よく知っていますよね」
江端:「まあ、極端なパソコン嫌いとか、ITから逃げ回っている人間でもなければ、誰でも知っていることだろう」
後輩:「今や翻訳エンジンの精度は劇的に向上していますが、基本的に私たちは、翻訳エンジンの翻訳結果を信じてきませんでしたよね」
江端:「うん、初期の英語の日本語翻訳のあの"ひどさ"を見れば、日本語の英語翻訳の結果なんて信じられる訳がなかった」
後輩:「音声でメールを書ける、という触れ込みのソフトウェアが、全く使えなかったとか、エキスパートシステムとかいうAI(第2世代AI)が、組み合わせ爆発で翌日になっても答えを返してこないとか・・・」
江端:「まあ、ITというのは『期待と失望』がセットになっていたと思う」
後輩:「で、まあ、今回のコラムで、江端さんは、自分のコンテンツを使って、ChatGPTの実験結果を示して、ChatGPTの応答の『50〜100%がデタラメ』という結果を導いていますよね」
江端:「ケースによるとは思うけどね」
後輩:「でも、別段、ガッカリもしていないでしょう?」
江端:「全くガッカリしていない。そんなことより、『対人間インタフェース』のすごさの方を絶賛している」
後輩:「江端さんは、ChatGPTの『対人間インタフェース』の、どの部分がすごいと思っていますか?」
江端:「あいつ(ChatGPT)、諦めないんだよ。絶対に、『知らない』と言って途中で投げ出さない。仮に知らなくても、『同じ内容を、別の言葉で言い換え』してでも、ちゃんと"回答している風"に見せかける。あのスタイルは、全人類が見習わなければならないと思う」
後輩:「ChatGPTに関しては、個人情報保護やプライバシーの問題がリスクとして挙げられているようですが、私はもっと本質的な別の問題があるんじゃないか、と思っています」
江端:「というと?」
後輩:「ChatGPTの言っている内容が、日本人にだけには届かないかもしれない、というリスクです」
江端:「……よく分からないんだか?」
後輩:「ChatGPTのレポートのまとめ方は、基本的にはロジカルに記載されていますよね」
江端:「まあ、ChatGPTの学習プロセスが、そのようなテクニカルライティングを想定しているからだ、と思うけど」
後輩:「私たちのような技術フィールドの人間にはこれで良いです ―― というか、これでないと困ります。しかし、日本人にとって日本語とは単なる情報を運ぶだけの道具ではありません」
江端:「?」
後輩:「つまりですね、表情や口調、声の大小、速度、抑揚、間の取りかた ―― そういう、非言語化された部分に、大量の情報を搭載させるのが、日本人の使う日本語です」
江端:「それは、まあ、分かる」
後輩:「よく外国の人が、『ちゃんとした日本語をしゃべっても、日本人は理解しない』と愚痴を言っているのですが、それは、非言語化された日本語を、ちゃんと学んでいないからなのですよ」
江端:「『非言語化された言語を学ぶ』というのは、そのフレーズ自体が論理破綻しているけどね」
後輩:「残念ながら、『非言語化された言語』を理解するのは、日本文化のバックグランドの理解が必要で、その理解をするためにも非言語化の手段が必要なのです」
江端:「それでは、日本語は、日本で生まれ育った人間に同士でしか理解できない、暗号言語ということになってしまうけど」
後輩:「ある意味、それは正しいと思います。日本語は、"言語"が難しいのではなく、"非言語"が難しいのです」
江端:「なるほど、言いたいことが分かってきたぞ。つまり将来のChatGPTの『対人間インタフェース』は、日本語の"非言語"部分にも対応できるだろうか?と言いたいんだな」
後輩:「そうです。もちろん、今のレベルのChatGPTの言語であっても、単なる情報伝達、特に、科学技術分野においては、問題ないくらいに高度なレベルにあると思います。ただ……」
江端:「今回調べたようなChatGPTのRLHF(人間のフィードバックからの強化学習)で、そのような"非言語"の言語レベルに至れるかどうかは、分からない、と」
後輩:「そういうことです」
江端:「でもなぁ、それって『強いAI』の範疇(はんちゅう)の話だと思うぞ。現状の『弱いAI』で、そのような"非言語"の言語をサポートするのは無理なんじゃないか?」
後輩:「……江端さん。そういうこと言って、また検討する前に諦めるんですか。また『腰を抜かすほど驚いて』『悔しい思いをする』ことになりますよ」
江端:「……」
後輩:「江端さんは、人生で一度くらいは『すごい人』と言われたいのでしょう?」
江端智一(えばた ともいち)
日本の大手総合電機メーカーの主任研究員。1991年に入社。「サンマとサバ」を2種類のセンサーだけで判別するという電子レンジの食品自動判別アルゴリズムの発明を皮切りに、エンジン制御からネットワーク監視、無線ネットワーク、屋内GPS、鉄道システムまで幅広い分野の研究開発に携わる。
意外な視点から繰り出される特許発明には定評が高く、特許権に関して強いこだわりを持つ。特に熾烈(しれつ)を極めた海外特許庁との戦いにおいて、審査官を交代させるまで戦い抜いて特許査定を奪取した話は、今なお伝説として「本人」が語り継いでいる。共同研究のために赴任した米国での2年間の生活では、会話の1割の単語だけを拾って残りの9割を推測し、相手の言っている内容を理解しないで会話を強行するという希少な能力を獲得し、凱旋帰国。
私生活においては、辛辣(しんらつ)な切り口で語られるエッセイをWebサイト「こぼれネット」で発表し続け、カルト的なファンから圧倒的な支持を得ている。また週末には、LANを敷設するために自宅の庭に穴を掘り、侵入検知センサーを設置し、24時間体制のホームセキュリティシステムを構築することを趣味としている。このシステムは現在も拡張を続けており、その完成形態は「本人」も知らない。
本連載の内容は、個人の意見および見解であり、所属する組織を代表したものではありません。
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