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定年間際のエンジニアが博士課程進学を選んだ「本当の理由」リタイア直前エンジニアの社会人大学漂流記(2-1)(4/5 ページ)

» 2026年02月04日 15時30分 公開
[江端智一EE Times Japan]

博士課程を決断した「最後のひと押し」

 こうして振り返ると、私が博士課程に進める条件は、ほぼ全てそろっていました。時間も、金も、会社の制度も、そして、社内で研究を続ける選択肢が消えたという現実もありました。ただ、この時点では、まだ私は「博士課程に進みたい」とは思っていませんでした。

 「末は博士か大臣か」という言葉があります。これは、それくらい「博士」が高い知性と人徳を有するものであることを語ることわざでもある(と私は勝手に思っている)のですが、私の周りには『アレが、そんなにすごいヤツか?』と思える研究員が、山ほどいます ―― それは今の私も含まれているのでしょう。ほっといてくれ。

 これが、博士課程に対する距離感を生んだ一因ではありましたが、それだけで、人生の残り時間を賭ける決断には至りません。条件がそろったから動いた、という説明では、どうしても何かが足りないのです。

 では、何が足りなかったのか。ここから先は、環境や制度の話ではありません。私自身の中に、ずっと消えずに残っていた、ある問いの話になります。

「人間は本当に説明不可能なのか?」

 私が本当に知りたかったのは「人間は本当に説明不可能なのか?」という一点でした。

 人間一人一人の内面や感情は、確かに観測できませんが、それが行動として現れた瞬間、それは本当に「分からないもの」のままで残され続けるものなのかという疑問が、ずっと頭から離れなかったのです。

ホワイトハウスのキューバ危機――マルチエージェント・シミュレーションで探る核戦争回避の分水嶺 「ホワイトハウスのキューバ危機――マルチエージェント・シミュレーションで探る核戦争回避の分水嶺」

 ここで、私の考え方に決定的な影響を与えた本『ホワイトハウスのキューバ危機――マルチエージェント・シミュレーションで探る核戦争回避の分水嶺』をご紹介したいと思います。

 この本は、核戦争の瀬戸際にあった歴史的事件を、英雄的な指導者の英断や、国家の合理的判断として語るのではなく、複数の意思決定主体――すなわち、人間と組織――の相互作用として、しかもそれをマルチエージェント・シミュレーションという計算可能な形で扱っていた点にあります。

 そこに描かれていたのは、限られた情報、誤解、組織的制約、心理的バイアスを抱えた人間たちが、それぞれの立場で判断し、その積み重ねの結果として「たまたま核戦争が起きなかった」という、極めて危うい構造を「シミュレーション(計算)」で示しています。

 私はこれを読んで、「ああ、人間は、こういうふうに“説明”できるのか」と、腑に落ちたのです。

 重要なのは、この本が「人間の心は複雑すぎて分からない」という逃げ道を許さず、あえて単純な前提を置き、計算に徹することで、集団としての意思決定が説明可能であることを示した点にあります。完全合理性でも、全知全能でもない人間を、計算の対象として正面から引き受ける。その態度は、私が長年抱えてきた、「人間は本当に説明不可能なのか」という問いに、初めて現実的な手応えを与えてくれました。

 私は、政治家や有識者が使う「国民の皆さん」「市民の声」という言葉が、昔からどうしても好きになれません。正直に言えば、その言葉を聞く度に腹を立てております。「国民の皆さん」と言う以上は、その裏にあるはずの個々人の行動や選択、移動や滞在、接触や分断を、ちゃんと示せ、と思う。自分の都合のいい主語として「国民」をでっち上げるな、という怒りに近い感覚です。

 少なくとも、この政治家や有識者が頻用する「国民」や「市民」の中に、私(江端)は入れないで欲しい。

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