前稿(90-2)第6章で論じた通り、政府の「ナフサ4カ月在庫」論は、半導体産業が必要とする「特定品番の特定グレード」を捉えられない。フォトレジストの問題は、この論点をさらに先鋭化させる。
ナフサが4カ月分あったとしても、それが
A)ナフサクラッカーで分解され、
B)ベンゼン/プロピレンが生産され、
C)特殊モノマー合成業者に届き、
D)半導体グレードに精製され、
E)レジストメーカーに供給され、
F)配合・QC・出荷され
G)ファブで認定済み品として使われる
――この多段サプライチェーンのどこか一段でも詰まれば、ファブは止まる。
そして、PFAS規制と3M撤退は、(C)と(D)の段階を、直接攻撃する。総量論では、この攻撃を可視化できない。
本稿の主なターゲット読者であるリソグラフィの専門家には、自社・自部門で以下を確認することを強く推奨する。
(1)使用中のレジストのPAG対アニオン構造
ECHAのPFAS定義に該当するか。複数の代替候補があるか。代替に伴う解像度・LWR・感度の変化はどの範囲か。
(2)使用中のレジストのベースポリマーモノマー供給元
ナフサクラッカーから何段の合成を経るか。各段の供給メーカーは何社か。地理的にどこに分布しているか。
(3)使用中のレジストの溶剤グレード
PGMEA等の半導体グレード精製ラインの供給メーカー、能力、代替可能性はあるか。
(4)自社の在庫戦略
レジスト品番ごとの在庫月数。緊急時の優先配分ルールはどうなっているか。また、代替レジストの事前認定状況はどうなっているか。
(5)PFAS Free/フッ素Free移行の長期戦略
自社が採用・開発している非フッ素系PAG・代替アーキテクチャの開発フェーズ、量産投入見通し、ファブ認定スケジュールはどうなっているか。ただし、これは長期課題であり、目前の供給リスクへの対応とは別軸で管理する必要がある。
これらは、もはや調達部門だけの問題ではない。プロセス開発部門、リソグラフィ部門、装置認定部門、経営陣を巻き込んだ「品番レベルでのフローマッピング」が必要である。
政府・業界団体に対する提言は、前稿(90-2)の延長として以下に集約される。
前稿(90-2)のエピローグで、筆者は世界の半導体産業の未来は「ガスが届くのか」「シールが手に入るのか」「潤滑油が供給されるのか」という3つの問いに賭けられていると書いた。
本稿では、4つ目の問いを加える。
「フォトレジストが届くのか」
最先端のEUVスキャナーが何百台あろうと、レジストが届かなければ、ウエハー上に回路パターンを形成することができない。最先端の3nm/2nmプロセスフローを構築できようと、フォトレジストが届かなければ、トランジスタも配線も形成できない。
そして、その「届くか届かないか」は、ナフサクラッカーの稼働、特殊モノマーの合成能力、PFAS規制の動向、3M撤退後のPAG原料供給、日本5社の生産能力、これら全ての交点で決まる。一つでも欠ければ、世界中の全ての半導体工場のリソグラフィ工程が止まる。
なお、レジスト業界では現在、PFAS Free/フッ素Freeを目指す技術開発が世界的に進行している。化学増幅の基本原理そのものを書き換えようという、長期的かつ野心的な挑戦である。しかし、その実現には、なお5〜10年以上の歳月が必要であり、本稿が論じるホルムズ危機の回避には、まったく間に合わない。長期戦略と短期危機対応は、明確に別軸で扱わなければならない。
筆者は前稿で「半導体産業の物質的基盤は、総量ではなく特定品番に依存する」と書いた。フォトレジストは、その依存構造の最も鋭利な象徴である。分子レベルの設計と、ナフサ・PFASという二つの川上が、同一のボトルに収められている――これがフォトレジストである。
ただし、ここで1点だけ視野を広げておかねばならない。本稿はフォトレジストを「特異点」として論じてきたが、レジストメーカーの一部では、既に原材料確保と供給体制の維持に動いている企業がある。また、量的インパクトという観点では、レジスト以降の後工程材料――再配線層用のポリイミド、基板用のエポキシ樹脂、各種消耗材(フィルター、洗浄用溶剤、スピンコート関連消耗品など)――の供給途絶も無視できない。というのはこれら材料は絶対量としては大きな影響を持つ可能性があるからである。これらが止まれば、レジストの問題が解決されて前工程ウエハーが完成したとしても、半導体としての商品化は成立しない。
本稿で「フォトレジスト=特異点」と位置付けたのは、それが前工程リソグラフィ工程を物理的に成立させる最後の鍵であり、かつナフサ/PFAS二重依存が分子内で交差する唯一の素材だからである。後工程・周辺消耗材の問題は、別途、独立した議論を要する課題として、稿を改めて論じる予定である。
この事実を最も深く理解できるのは、ほかならぬリソグラフィの専門家である。理解した以上、直ちにBCP(Business Continuity Plan:事業継続計画)を立案し、初動対応に移らなければ生き残ることはできない。
残された時間はわずかであり、あなたの半導体工場停止のカウントダウンは、既に始まっている。
2026年6月11日(木)13:00〜16:30に、コンベンションホール・AP浜松町にて、サイエンス&テクノロジーのセミナーを開催します。テーマは、『AIブームは崩壊寸前 その対策と羅針盤』で、CoWoSキャパ不足、HBM不足、そして電力不足に加え、He供給途絶問題、加えてナフサ供給逼迫による半導体産業(+IT産業、そして人類の文明)の崩壊についても、急遽加えることにします。詳細はこちらのサイトをご参照ください(ただし、まだナフサ供給逼迫については要旨や目次に反映できていません)
Dammel, R. "Diazonaphthoquinone-based Resists," SPIE Press Tutorial Texts Vol. TT11, 1993
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van de Kerkhof et al. (ASML), "Enabling sub-10nm node lithography," Proc. SPIE各巻
※【リソグラフィの専門家の指摘により新規追加】PFAS Free/フッ素Freeレジスト関連
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Allen, R. D. et al. "Toward PFAS-Free Chemically Amplified Resists: Materials Design and Performance," Proc. SPIE 12498, Advances in Patterning Materials and Processes XL, 2023
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富士経済「2023 電子材料・部材市場の現状と将来展望」
SEMI Materials Market Data Subscription 各年版
市場・企業情報
S&P Global Chemical Economics Handbook: "Styrene", "Benzene", "Methyl Methacrylate", "Propylene Glycol Ethers"
3M Press Release, "3M to Exit PFAS Manufacturing by the End of 2025," December 20, 2022
JSR Corporation, "JSR Announces Agreement to Acquire Inpria," 2021
各レジストメーカーIR資料・SDS
1.湯之上隆のナノフォーカス(90-1):『「装置は動くがプロセスが成立しない」−He供給危機とナフサ不足の本質―』、EE Times Japan, 2026年4月24日、https://eetimes.itmedia.co.jp/ee/articles/2604/24/news070.html
2.湯之上隆のナノフォーカス(90-2):『He/ナフサ供給危機で工場新設も遅延? 装置/チップメーカーへの波及経路を探る』、EE Times Japan, 2026年4月24日、https://eetimes.itmedia.co.jp/ee/articles/2604/24/news071.html
3.湯之上隆のナノフォーカス(57)、『3Mが2025年末までにPFAS製造を停止、世界の半導体製造はどうなるのか』、EE Times Japan, 2022年12月23日、https://eetimes.itmedia.co.jp/ee/articles/2212/23/news073.html
4.湯之上隆のナノフォーカス(50)、『続報・3MのPFAS生産停止、今は「嵐の前の静けさ」なのか』、EE Times Japan, 2022年05月18日、https://eetimes.itmedia.co.jp/ee/articles/2205/18/news053.html
5.湯之上隆のナノフォーカス(49)、『3Mベルギー工場停止、驚愕のインパクト 〜世界の半導体工場停止の危機も』、EE Times Japan, 2022年04月11日、https://eetimes.itmedia.co.jp/ee/articles/2204/11/news069.html
1961年生まれ。静岡県出身。京都大学大学院(原子核工学専攻)を修了後、日立製作所入社。以降16年にわたり、中央研究所、半導体事業部、エルピーダメモリ(出向)、半導体先端テクノロジーズ(出向)にて半導体の微細加工技術開発に従事。2000年に京都大学より工学博士取得。現在、微細加工研究所の所長として、半導体・電機産業関係企業のコンサルタントおよびジャーナリストの仕事に従事。著書に『日本「半導体」敗戦』(光文社)、『「電機・半導体」大崩壊の教訓』(日本文芸社)、『日本型モノづくりの敗北 零戦・半導体・テレビ』(文春新書)。2023年4月には『半導体有事』(文春新書)を上梓。
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