実際のエキスパートシステムは、もっと複雑で、"IF〜THEN〜"で導いた推論を、さらにもう一度エキスパートシステムに再投入することで、推論の精度を上げていくこもできます。
例えば、第1回の推論結果で「浮気」となった場合に、この浮気相手が「異性」か「同性」によって、新しい"IF〜THEN〜"を追加することもできます(この場合、推論の目的も変わってきてしまいますが)。
この原稿の執筆中に、長女(高3)に、「私(♂)が男性相手に不倫をした場合に、どのような知識をエキスパートシステムに教え込むべきか」を相談したところ、『その不倫相手が、"ひ弱い感じの男性"か、"マッチョな感じの男性"かで、知識を変える』と、言われました。
「よく分からん」と応えたら、右のようなメモを作ってくれたので、添付しておきます(解説は省略させていただきます)。
さて、このようにルールが追加されるごとに、推論の精度が上っていくようにも思えますが、当然のことながら、矛盾したルールも出てくるし、そもそもルールが増えることで推論時間が増大していきます(いわゆる「組み合わせ爆発」)。
入力してから数秒で推論結果を出力していたエキスパートシステムが、ルールの追加によって、うんともすんとも言わなくなる、というケースは結構頻繁に起っていたようですし、矛盾ルールのために、無限ループに陥いるということもあったようです。
エキスパートシステムは、第二次人工知能ブームをけん引した立役者であり、各企業が開発にしのぎを削っていました(ES/KERNEL(日立)、EXCORE(NEC)、ESHELL/X(富士通)など)。しかし、"IF〜THEN〜"だけでは、知識表現としては足りないことが分かってきて、1990年代以降には衰退していきました。
では、今回のコラム全部を通した私の感想を述べたいと思います。
知識表現をどんなに工夫してみても、それはあくまでコンピュータのソフトウェアのアルゴリズムの1つに過ぎません。学生時代にZ80のCPUを搭載したボードに、部品をはんだづけしてきた私にとって、コンピュータは、今なお、「超高速の電卓」にすぎません。
今の私には、「ソフトウェアによってコンピュータ自体が感情を持たせる」より、「過去に戻るタイムマシンを作る」方がはるかに、実現可能のように感じるのです。
これが、私が「"人工知能技術"について、プログラムのレベルで理解できる」ということと、「タイムマシンの原理(論理だけでも)を、まったく理解できていない」というこの違いによるものだと考えれば ――
昨今の人工知能ブームは、"人工知能技術"を分かっていない人たちが、世間を踊らせ続けているものである ―― ということは、極めて自然な現象である、と言えそうです。
その一方、
コンピュータは、バカにしていい使用者と、バカにしてはならない使用者を区別して、「舐めた対応」をするか、「従順なふりをした対応」をするかを決めているという、そういう底意地の悪い感情を持っている――
という私の見解は、―― 今なお、私の家族によって日々実績として積み重ねられていることからも ―― 正直に認めなければならない、と思っています。
それでは、今回のコラムの内容をまとめてみたいと思います。
【1】今や人工知能に関する記事や解説が氾濫していますが、人工知能を技術的に理解している人間は日本において1万人以下にすぎないという仮説を2つのアプローチで検証してみました。その結果より、昨今の人工知能ブームは、"人工知能技術"を分かっていない人たちが、世間を踊らせ続けている ―― という、私の所感が、一層、強化されました。
【2】“人工知能”の研究は、いつの時代も「コンピュータの性能が足りない」という理由で、逃げが打たれてきたという事実と、今や、もうその理由が使えないくらいにコンピュータの性能が上がっていることを、我が家の5000円のボードコンピュータとの性能比較で明かにしました。
【3】今から30年前にあっても、「人工知能が、私たちの仕事を奪う」という予測をしていた人工知能の研究者がいたという事実と、その予想が、お話にならないくらい、ぶざまな外れ方をしているという事実を、実際のデータを使って明かにしました。
【4】第二次ブームをけん引した「エキスパートシステム」について、「パートナーの浮気/性癖判定エキスパートシステム」という架空のシステムを使って説明致しました。
以上です。
前述しましたが、今回の仮想のエキスパートシステムを考える上で、「私(♂)が、男性と不倫の恋に落ちて、嫁さんとの離婚とその男性との結婚を決意した」という状況を想定して、家族(嫁さん、長女(高3)、次女(中2))の4人で、このシミュレーションを展開しました。
家族4人による、2時間以上にわたる熱い議論が展開され、異性愛、同性愛に対する各人の見解や、結婚の態様とその感情についてそれぞれが持論が飛び出してきました。
特に、私が「ここからは、ロジックは無視していいから、感情だけで語れ」と指示した後からは、―― 1冊の本にできるんじゃないかな ―― と思えるほど、興味深い意見がポンポン出てきました。
機会がありましたら、皆さんに、このお話をご報告したいと思います(『番外編で取り上げてもいいです』って、担当のMさんがおっしゃって下さいました)。
⇒「Over the AI ――AIの向こう側に」⇒連載バックナンバー
江端智一(えばた ともいち)
日本の大手総合電機メーカーの主任研究員。1991年に入社。「サンマとサバ」を2種類のセンサーだけで判別するという電子レンジの食品自動判別アルゴリズムの発明を皮切りに、エンジン制御からネットワーク監視、無線ネットワーク、屋内GPS、鉄道システムまで幅広い分野の研究開発に携わる。
意外な視点から繰り出される特許発明には定評が高く、特許権に関して強いこだわりを持つ。特に熾烈(しれつ)を極めた海外特許庁との戦いにおいて、審査官を交代させるまで戦い抜いて特許査定を奪取した話は、今なお伝説として「本人」が語り継いでいる。共同研究のために赴任した米国での2年間の生活では、会話の1割の単語だけを拾って残りの9割を推測し、相手の言っている内容を理解しないで会話を強行するという希少な能力を獲得し、凱旋帰国。
私生活においては、辛辣(しんらつ)な切り口で語られるエッセイをWebサイト「こぼれネット」で発表し続け、カルト的なファンから圧倒的な支持を得ている。また週末には、LANを敷設するために自宅の庭に穴を掘り、侵入検知センサーを設置し、24時間体制のホームセキュリティシステムを構築することを趣味としている。このシステムは現在も拡張を続けており、その完成形態は「本人」も知らない。
本連載の内容は、個人の意見および見解であり、所属する組織を代表したものではありません。
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