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Intelの創業4年目(前編)、半導体メモリのトップベンダーに成長福田昭のデバイス通信(171) Intelの「始まり」を振り返る(4)(2/2 ページ)

» 2018年12月04日 11時50分 公開
[福田昭EE Times Japan]
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DRAMの大成功と、自社所有建屋への移転

 販売では、前年(1970年)10月に開発した世界初のダイナミックRAM(DRAM)「1103」が大成功を収めた。「1103」は業界標準メモリの地位を確立し、半導体メモリ市場でIntelのシェアを30%〜50%に押し上げる原動力になったと、1971年の年次報告書では高らかにうたっている。2018年の現代に置き換えると、半導体メモリ市場におけるSamsung Electronicsのような地位を、Intelは獲得したことになるのだろうか。もっとも市場規模そのものは非常に小さく、半導体メモリおよびIntelの社会的影響は現代とは比較にならない。

 生産と運営では、本社の移転と自社所有工場の稼働という大きな出来事があった。Intelはシリコンバレー地域の一角、カリフォルニア州マウンテンビューで創業した。本社オフィス建屋と工場建屋、それから半導体製造装置は全てリース物件である。Intelはマウンテンビューからおよそ10kmほど離れたサンタクララで土地を購入し、本社ビルと工場を建設する。1971年に本社ビルと工場は竣工し、本社オフィスはマウンテンビューからサンタクララへと移転した。

 マウンテンビューの生産工場はそのまま残され、稼働を続けた。サンタクララの生産工場は、Intelにとっては生産の移転ではなく、生産を増強する手段だった。新工場の稼働によって半導体生産のスループットは前年の3.5倍と大幅に向上した。

1971年の主な出来事。Intelの年次報告書(アニュアルレポート)を基に作成(クリックで拡大)
サンタクララのIntel本社社屋。1970年代初頭に撮影されたもの。出典:Intel(クリックで拡大)

翌年(1972年)への明るい展望

 1971年の年次報告書(アニュアルレポート)は冒頭の本文を、翌年(1972年)への明るい展望で締めくくっている。製品開発では、nチャンネルのMOS FET技術による新製品を市場に投入する。現行のpチャンネルMOS FETデバイスに比べて性能が向上するとともに、電源電圧が下がり、消費電力が減る。また記憶容量が4,096ビット(4Kビット)の大容量メモリを開発する計画である。

 それから1971年に新設したメモリボードの開発・販売部門が本格的に活動し始める。メモリモジュールとメモリサブシステムの新製品をいくつか投入するという。

翌年(1972年)の展望。Intelの年次報告書(アニュアルレポート)を基に作成(クリックで拡大)

 そして1972年は、売り上げが1971年に比べて大幅に増加すると述べている。といっても1971年の業績をまだご説明していないので、やや分かりにくいかもしれない。1971年は業績でも大きな変化があった。詳しくは後編でご紹介したい。

後編に続く)

福田昭のデバイス通信【Intelの「始まり」を振り返る】記事一覧
創業1年目 研究開発主体で売り上げは「ゼロ」
創業2年目 初めての製品売り上げを計上するも赤字は拡大
創業3年目 売り上げが前年の11倍に急増して赤字が縮小
創業4年目 (前編)半導体メモリのトップベンダーに成長
(後編)最終損益が黒字に転換
創業5年目 (前編)収入が前年の2.5倍に、初めての営業黒字を計上
(後編)腕時計メーカーになったIntel
創業6年目 クリーンルームに防塵衣がまだなかった頃
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