それでは、本シリーズ第5回(最終回)の内容をまとめます。
【1】本シリーズ第1回でご紹介した「自動車に乗ったまま自宅に帰れなくなった父(故人)」の事件を振返って、「あの時、どんなITシステムを作っておけば良かったのだろう」という観点に立ち戻り、3つの車載システムを考案しました。
【2】従来のIoTシステムとは真逆のアプローチ「移動サーバ(Movable Server)」をラズパイで実現させて、(1)父の自動車の現在と過去の位置を表示する「「追跡」システム」、(2)父が迷走中であることを車の外部に表示する「「SOS通知」システム」、そして、(3)迷走中の父に音声で指示を与えることのできる「「よびかけ」システム」の3つのシステムについて、その作り方と運用方法を説明しました。
【3】前回私が自作した「尊厳死宣言書」について、現職の医師の方から頂いたレビューを公開しました。江端の「尊厳死宣言書」は、現場の担当医としての救命の使命と、江端の宣言書の内容が矛盾するものとなり、担当医がその職務を遂行できなくなるという指摘を受け、さらに、私の「尊厳死」の考え方に対する現場の医師のリアルな恐怖が表明されていました。
【4】本シリーズ第1回で掲げたテーゼ、「介護ITの究極の目的は『苦痛の定量化/見える化』であるとした上で、人体の「「痛み」検知システム」が、人間にとって理不尽なほど非道なものであることと、それに対する現在の医療による対抗策について紹介しました。
【5】さらに、私たちは実際のところ「わざわざ、他人の痛みを感じたいとは思わない」という仮説を立てた上で、『「苦痛」が動かす社会の未来像』として4つの提言を行いました。その目的は、「望めばいつだって100%苦痛を回避できる」「望めばいつだって自分の手で人生を終えることができる」という保証である、と主張しました。
以上です。
本シリーズは、「介護IT」をテーマとするコラムですが、実際のところは、私の父(故人)と母(寝たきり)と、そして姉と一緒にさまざまな事件に遭遇しながら、ここ十数年の間、私が考え続けてきたことを、一気に吐き出すコラムとなってしまいました。
最終回のここに来て、こんなことを書くのは気が引けますが、
―― 「介護」と「IT」は、恐ろしく相性が悪い
というのは、偽らざる事実です。
これは「介護」がアナログサービスの極みに立つものである一方で、「IT」がデジタルサービスの極みに立つものであるからです(この具体例については、これまで散々紹介してきたので、もう繰り返しません)。
この連載が成立したのは、たまたま、私が「介護」と「IT」の両方に手の届く位置に立っていたたからに過ぎません。「介護IT」は、現時点においては、その兆しすら見えない漆黒の闇の中にあります。
この記事をメインで読んで頂いている方の多くは、「IT」に手が届きやすい場所にいる方だと思います。一方、「介護」の方は、あなたが望まなくても、「親」または「自分自身」が主体となって、勝手にやってきます。
その時に、もう一度、この連載の記事を読み直してみてください。
そして、『ああ、当時の介護サービスは、目も当てられない絶望的なサービスだったのだなぁ』と振り返ることができる未来であればうれしいのですが、残念ながら私はネガティブです。
今の私が感じている「介護IT」に関する深い絶望感というその一点で、私たちは、時空を超えて共感することになると思います。
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