さて、話を「小学校のプログラミング教育」に戻します。この教育の対象は小学生です。小学生にコンピュータを動かす方法、つまり「プログラミング」を教えるというのは、正直、むちゃだ、と私ですら思います。なぜなら、そもそも、プログラミングというのは、人間が進化の過程で獲得してきた労働の知見を、何一つ生かすことができない、人間の直感に反する作業だからです。
しかし、さすがは文部科学省。その辺のことは良く理解していて、小学生におけるプログラミング教育の目的を、「プログラミングの履修」とはしていません。
つまり、
(1)(どっかの小人さんではなく)人間が「プログラム」というものを作っていて、
(2)その「プログラム」がなければ、コンピュータは動かなくて、
(3)私たちの周りにあるものは、ほぼ全部、コンピュータで動いているものであり、
(4)プログラムは、完全に正確に作らないと、ウンともスンとも動かないものであり、
(5)コンピュータといえども、なんでもできる解決できるわけではない(恋愛とかいじめなど、解決できない)
という5つをたたき込めば良い、という割り切り方をしています。
ただ、その中でも上記(4)の「プログラムは、正しくに作らないと、ウンともスンとも動かないものである」については、座学(教科書を使ったもの)ではなく、実際にコンピュータ(パソコン)を触って「動かないことを、子どもたちに思い知らせる」というスタンスが見て取れます ―― これ、実に正しいアプローチだと思います。
これまでの、「なんか、テキトーに書いて、提出するだけの宿題」とは、まるっきり違うものであり、動かなければ何もしなかったことと同じで、コンピュータは本人の努力とか根性なんぞ全く考慮しない ―― それがプログラミングである、ということを、理解させようとしているようにも思えます。
つまるところ、
(1)君たちが相手にするコンピュータなるものは、プログラムのたった一文字の違い(大文字と小文字の違い)ですら理解できない、絶望的なアホであり、
(2)この絶望的なアホ(コンピュータ)は、命令の順番が1つだけ狂っているだけでも、訳の分からない動きをする、行間が(空気が)読めない無能な電気スイッチの集合体であり、
(3)私達の世界のほぼ全ては、こんな絶望的なアホで、空気の読めない無能な電気スイッチの集合体によって、支えられている現実に驚愕(きょうがく)すべきであり、
(4)プログラミングが、いかに面倒くさく、大変で、そして危険なものであるかを、自分で体験して、その上で、―― 私たちの世界が、こんな危ういもの(プログラム)で支えられている事実に愕然(がくぜん)としろ
ということが伝われば十分なのです ―― が、正直、ここまで小学生に教えられるかどうかは分かりません。
取りあえず、「コンピュータ=バカ」「プログラミング=地獄」の端緒に触れられれば、まずはOKだと、私は思っています。
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