さて、前述した通り、今回は「STEM教育」そのものについては言及しないで、その伏線的な内容のみを話します。後半では、近年、小学校から導入されることになった「プログラミング教育」についてお話したいと思います。
私、以前、「学校教育とは、生徒の個性を破壊するシステム」であり、「それで良い」という論を展開しました(関連記事:「リカレント教育【前編】 三角関数不要論と個性の壊し方」)。
私は、学校教育というのは、(良いか悪いかはさておき)「数値化できない価値」を教える施設である、と考えています。
もちろん、学校の定期テストや、有名大学の進学率等のように、「数値化できる価値」もありますが、学校とは、集団生活、上下関係、一般常識、一般教養、そして、友人間の「空気」、特定の人間を生贄(いけにえ)にする「いじめ」なども含めて、「数値化や言語化できない(時として非論理的な)ものが、非論理的に存在していることを学ぶ施設」と思っているからです。
そのように考えた時、「プログラミング教育」には、これまでの教育にはない、かなり『異質なもの』を感じています ―― 特に「小学校におけるプログラミング教育」については、私は、心の底から『本当に大丈夫だろうか?』と心配しているのです。
ここからは、文部科学省の資料「小学校プログラミング教育の趣旨と計画的な準備の必要性について」を参照しながら、話を進めさせて頂きます。
上記の図の中に、赤字でつっこみを入れていますが、上図の「1.背景」については、まあ理解できます。技術の発展は、私が生まれてから、いつの時代であっても急速に進んでいて、多くの人を社会から置き去りにしていますし(デジタルデバイド)、人口減少は絶望的な状態です。(私の試算では)仮にことし(2021年)から1970年代の第二次ベビーブームを再開したとしても、人口が増加に転じるのは62年後です(関連記事:「合理的な行動が待機児童問題を招く? 現代社会を映す負のループ」。
ちなみに、“Society5.0”なる用語ですが、日本国政府と、国内大手メーカー等では使用されていましたが、欧州、米国、中国では全く使われていませんでした ―― 要するに「国策用語」です。
そして、この用語が登場し出したのは、ドイツが打ち出した"Industry4.0"の直後です。なお、"Industry4.0"は、世界中で使われているようです(by Google Trend)。
“未来予測”については、私が以前の連載「陰湿な人工知能 〜「ハズレ」の中から「マシな奴」を選ぶ」で“散々”こきおろしてきた、いわゆる「専門家」の言葉が引用されています。
これについては、私のコラムの『「AIが人間に取って替わる」は聞き飽きた』をご参照ください。
また、一応、こちらの表も再掲しておきます。
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