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自作の「金融商品自動売買ツール」をGo言語で作ってみる「お金に愛されないエンジニア」のための新行動論(3)(3/9 ページ)

» 2022年05月31日 11時30分 公開
[江端智一EE Times Japan]

金融商品をポチって失った、「牛丼1杯分の幸せ」

 意を決して、私は、980円本に書かれていた、"米国"、"eMAXIS"、"純資産額"と、『SBIと名前の付いていて』、その日人気のあった商品のボタンを、目を瞑(つむ)って押しました。

 ……購入できませんでした ―― 証券会社にお金が入っていなかったからです。私は、お金を持たずに買い物をしようとしていた訳です。

 そこで、PayPay銀行からSBI証券に2万円を送金して、再度試みました(送金は一瞬で完了しました)。今度は購入することができたようですが ―― 本当に購入できたのか? と、不安になりました。週末に作業していたので、週明けにならないと購入がされないようで、不安な週末を過すことになりました。

 週明け、SBI証券から届いた、そっけない文面のメール

「投資信託取引報告書」を、電子交付(記録)いたしましたので
お知らせいたします。

当社WEBサイト(ログイン後の「口座管理」>「電子交付書面」画面)
にてご確認ください。

ご利用有難うございました。

が来ており、指示通りに、そこを確認してみると、1枚ペラのPDFファイルがありました。

 これが、「証書」みたいなものなのかなぁ、と思っています(全然違うかもしれなせんが)。

 まあ、ペーパーレスを推進することのできない国会議員を、散々バカにしてきた*)私が言うのもなんですが、有体物(ペーパー)に対する、”かりそめの”(あるいは、”まやかしの”)安心感、というのは確かにあるかもしれないなぁ、と思いました。

*)関連記事:「GIGAスクール構想だけでは足りない、「IT×OT×リーガルマインド」のすすめ

 先日、購入した商品の値段を調べてみたら、順調に値下がりしていました。

 まあ、これは、人生最初のネット証券での、最小単位の金融商品ですし、損益は、たかだか、牛丼一杯分くらいです。それでも「牛丼一杯分、食いっぱぐれた」と思うと、へこみます(牛丼は『”幸せ”の単位』です)。

 これからは、たくさん、こういう目に遭遇していくのだと思いますので、慣れなければならないのでしょうが、牛丼を「”幸せ”の単位」にしてきた私にとって、この世界は、なかなかつらい世界になると思います。

ビットコインでは「牛丼10杯分」の幸せを逃していた

 それと、実験的に、ビットコインにも手を出していたのですが、こっちは牛丼10杯分の幸せを逃してしまったようです。

 今回の連載では、私の実証実験の一つに「暗号資産(仮想通貨)」も入れており、少額ではありますが、ビットコインの購入も開始していました。

 ところが、私が購入したのを見計らったかのように、ビットコインが下落を始めました。

 以前、私は、『ビットコインの「信用」が良く分からない』という論旨で、コラムを寄稿してきましたので*)、これは、ビットコインの呪いかもしれんなあ、などと思っています。

*)関連記事:「ビットコインの正体 〜電力と計算資源を消費するだけの“旗取りゲーム”

ビットコインを「守りたく」なった

 ただ、今回のビットコインの下落で、ちょっと不思議な感覚を覚えたので、ご報告しておきたいと思います。

 ビットコインの購入を始めてから、なんか心情的に、「ビットコインを擁護したい、守ってやりたい」という漠然とした気持ちが湧いてきました。自分でもかなり驚いています。これは、ビットコインでもうけを得たい、という気持ちとはちょっと違いまして、「誰からか、ビットコインを軽く見られると、なんかムカつく」という感情に近いものだったように思います。

 もちろん、これが、非論理的で、不合理な感情であることは十分に承知しています ―― というか、そういう感情を徹底的に排したコラムが、私の作品のウリであることも分かっています。

 一方、私は、これまでも、「初音ミク」やら、「自分でコーディングした人工知能プログラム*1)」やら、「フィールドLANシステム*2)」などに対して、同じような気持ちになった経験があります。

*1)連載「Over the AI ――AIの向こう側に
*2)連載「江端さんのDIY奮闘記 EtherCATでホームセキュリティシステムを作る

 さらに、それが無体財産権(特許権)のようなものすら、自分の考え出した発明を「愛している」と、はっきりと言えます(他の人からは、『気持ち悪!』と見えるかもしれません)。

 いったん、自分の所有物になったモノ、あるいは自分の意思でコントロールできるようになったモノは、それを守りたいという気持ちになる、というのは、不思議な感覚です。

 ―― はっ! もしや、これが、「”愛”の起源」?

 もし、上記の「”愛”の起源」仮説が正しければ、私のビットコインのコラムに対して、非論理的かつ感情的にディスってきた人々の言動を、1mmくらいは理解できる、と思いました ―― 自分が愛しているものを貶されれば、誰だって怒っていいのです。

 実際、私は、ビットコインのコラム執筆時には、「ビットコインへの愛」などという奇妙な思慕は、全くなかったと断言できます。そして、今なお、私は「ビットコインへの愛」はないと断言できますが、「ビッコインを、理由抜きに愛している人がいる」ことは理解できます。

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