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老後を生き残る戦略として「教祖(仮)」になってみた「お金に愛されないエンジニア」のための新行動論(7)(3/10 ページ)

» 2022年09月30日 11時30分 公開
[江端智一EE Times Japan]

まずは市場調査をやってみた

 さて、老後を生き残る「戦略としての教祖」を考える上において、まずは、現状の信徒の市場調査を行いました。教祖となって、宗教団体を立ち上げ、宗教法人となるためには信徒が必要であり、どの層を狙うかが重要だからです。

出所:文化庁「宗教統計調査」

 さて、このデータですが、それぞれの宗教団体からの自己申告数を積み上げたものになっており、文化庁が『その数の根拠については、ウチ(文化庁)は知らん』と公言しているものです。そもそも、合計したら、日本の総人口を越えていました。

 違和感しかないデータです。私は、神式、または仏式の結婚式に参加したことがありませんし、キリスト教形式の葬式に参列したこともありません。『どう考えても、これ、初詣の人数を積み上げただけだろう』というものです。

 ならば、キリスト教系の団体は、小中学校のクリスマスイベントや、大学のクリスマスコンパの参加者数もカウントしても良いと思います。『クリスマスには、まず教会に出向け。ミサに参加しないでデートしたら、そのカップルは別れることになるだろう』という風評の流布も行うべきでしょう。

 いずれにしても、このデータは、日本での布教活動の把握には、あまり有効ではないようです。

 ともあれ、私が教祖にならなければお話になりません。教祖になる方法については、「完全教祖マニュアル」を使って勉強させて頂きました。

 私が教祖になるには、まず、私が「天啓」を受けている、というストーリーが必要です。天啓とは『神からのお告げ』のことですが、それが客観的事実であるかどうかは、どうでもいいことです。そもそも、第三者に検証する手段がないからです。

 そもそも、世界三大宗教の教祖が天啓受けた状況を調べてみると、教祖は、絶食したり、不眠を続けたりと、体と精神に過負荷を与えていたのです。人間の脳が、このような状況下では、簡単に精神に混濁をきたし、幻覚症状に陥ります。

 実際、私も「天啓」と呼べるようなものを体験したことはあります(2000年9月11日 米国アーチーズ国立公園のデリケートアーチ)。天啓の内容はロクなものではなかったですが(筆者のブログ)。

 また教祖には、「知的」「反体制」「弱者救済」という行動実績が必要です。しかし、信念を持って行動をしている必要はありません。これらは「フリ」で良いのです。

 特に「知的」に関しては、自分の主張が論理破綻しても構いません ―― というか、逆に、論理破綻をしている方が都合が良いです。その破綻した論理をつなぎ合わせるパーツとして、「神」を出現させる余地が発生するからです。宗教における万能パーツこそ、「その矛盾によるあなたの苦しみこそが、神が与えている試練なのです」という詭弁……もとい、教えにつながります。

 一方、「神抜き」で試みたのが、いわゆる「共産主義」という宗教です。1991年ごろに大規模な失敗(ソビエト連邦の崩壊)を経験していますが、最近は、大陸の方で、一党独裁の根拠としてのみ利用して、うまいこと運用して経済成長を続けている国家(中華人民共和国)もあります。

 「反体制」という実績を、「成果」という形で見せるのは難しいと思いますが、「弾圧」という形で見せるなら簡単です。デモに参加している写真があれば足りるでしょう。国家権力(警察、機動隊)によって、暴行を受けている(ように見える)写真があれば、バッチリです。

 「弱者救済」は、ネタに欠きません。(これについては後ほど、信者獲得のマーケティング分析のところで一覧を表示します)。何しろ、「”犯罪者”を最優先の救済対象*)」を教義とする宗教が、800年後の今にあって、我が国の代表的な宗教法人として存在しているくらいです。今ならツイッターのタイムラインを3分間眺めているだけで、「自称”弱者”」を発見することができます。

*)「善人なおもて往生を遂ぐ、況んや悪人をや(歎異抄)」

「カリスマは作れる」

 私にとって巨大な課題が「カリスマ」です。私、顧客への商品紹介や、学会発表などは、そこそこうまくできると思うのですが、カリスマは、プレゼンテーションではありません。「その人への”心酔”」です。心酔というのは、その人の行動、身ぶり手ぶり、口調、体格、イケメン、表現方法などを含む、人間的魅力であり、『ロジックによって説得する能力』のことではありません。

 しかし、最近、ちょっと考え方が変わってきています。

 まず、カルト教団の教祖の写真を並べて見てみると ―― 清潔感、イケメン度、スマートな体格(体重)と真逆な写真が多いです。正直にいって、”心酔”どころか、近寄ることすら躊躇(ちゅうちょ)するほどの嫌悪感があります。もちろん、個人差はあるでしょうし、実際に会ってみないと分からないこともあるとは思いますが。

 最近、私は、「カリスマ」は、後天的に作り出すことができるのではないか、と考え方を変えてきています。それは、コロナ禍で主流となりつつあるリモート環境のコミュニケーションや、VTuberなどの仮想外観/音声作成機能などの活用などもスコープに入っています。

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