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「日本のコロナ史」を総括する 〜5類移行後の答え合わせ世界を「数字」で回してみよう(70)番外編(2/11 ページ)

» 2023年11月21日 11時30分 公開
[江端智一EE Times Japan]

きっちり2020年の正月から始まった「日本のコロナ史」

 我が国の新型コロナ史は、(本当にキッチリと)2020年の正月から始まりました。

 この2020年をまとめると、恐怖におびえた1年と総括できるでしょう。特に前半の半年は”悪夢”そのものでした。

 この感染症に対抗できる手段が対症療法のみ。抗ウイルス薬もワクチンも一切なし。インフルエンザとは比較にならない感染力と高い死亡率。死に至らないまでも、残酷な病状、後遺症などに苦しむ人がいる一方で、感染を自覚できない人が、ウイルスをバラまく ―― 一体、どこの世界の悪魔が仕込んだか、と思えるほど最悪の感染症でした。

 そして、この年、恐らく、日本史上初めて、「東京都民が日本中から嫌われる」という事態が発生しました (実際、2020年の夏ごろは、新型コロナ感染は東京都に集中していました)。この2020年に唯一の希望があったのはmRNAワクチンだけでしたが、その時点では専門家でも「量産には最低でも2年はかかる」と言っていました。

 なお、図に記載したグラフは、重症者数の推移です(参考)。死亡者数でもなく、感染者数でもなく、重症者数としたのは、”感染”と”死亡”の間の数が、新型コロナの脅威を最も分かりやすく表していると考えたからです(で、実際に、最もピークが分かりやすいデータでした)。

「”緊急事態宣言”乱発」と「ワクチン接種騒動」の2021年

 2021年は、「”緊急事態宣言”乱発」と「ワクチン接種騒動」の一年でした。

 今ではすっかり定着しましたが、「緊急事態宣言」という言葉に、私たちはおびえ、そして閉じこもりました。そして、閉じこもれない人は、毎日おびえながら仕事を続けなければなりませんでした。

 壮絶なワクチン接種予約の争奪戦が繰り広げられ、その一方で、ワクチンに対するデマ(不妊など)がまことしやかにSNSでささやかれて、私たちは、ワクチンに踊らされ続けました。

 さらに、史上初の「無観客五輪」というイベントが東京で強行されました(エンジニアとしての私は、「バブル方式」などのシステマチックな感染予防対策に感銘を受けたりもしていましたが)。

 しかし、この年の後半、ワクチン接種の効果もあってか、緊急事態宣言は収まりました。これで、ようやく一安心かと思っていたところに、この年の最後にやってきたのが、ワクチン接種をしたとしても、一定期間を経たのち感染するという「ブレークスルー感染」、そして、その原因となった「オミクロン株」です。

「ちぐはぐ」だった2022年

 2022年を一言で表現するのであれば、『ちぐはぐ』がピッタリでしょう。

 オミクロン株の猛威で、酸素吸入器不足が逼迫する、PCR検査場は大行列になる、1日の感染者は4000人から25万人になる……。もう、『感染拡大はとどまるところを知らない』という状況に対して、警戒レベルを下げたり、イベント再開が始まったりと、全く「ちぐはぐ」な対応が取られるようになります。

 これは、一言で言えば、感染者が増加しても、重症者が増えない、という新型コロナウイルスの変異によるものであり、新型コロナウイルスが、人類との共存戦略に向けた変異に舵を切った、とも言えますし、人類のウィズ新型コロナの体制が整った、とも言えます

 そして、本年5月8日の「新型コロナウイルス感染症の5類感染症移行」をもって、政府および地方自治体による、”緊急事態宣言”、”行動制限”、”入院勧告・指示”、”感染者や濃厚接触者の外出自粛要請”などが、全て封印されるに至りました



 今こそ、思い出していただきたいのです―― 私たちは、結構な地獄の3年間を過ごし、運よく生きのびて、ここに至ったのです。国内死者数の7万5000人、世界死者数686万人の中に入らなかった、ということを

 『私たちの3年間の”新型コロナ世界線漂流”を無駄にしてはならない。なかったことにしてはいけない』*)

*)シュタインズゲート第23話 「境界面上のシュタインズゲート」のパクリ

 それでは、シバターエバタ 新型コロナコラムの総括を開始いたします。

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