さて、ここからは後半です。ここからは、以前「力任せの人工知能 〜 パソコンの中に作る、私だけの「ワンダーランド」」で取り上げた行動経済学について、もう少し詳しくお話したいと思います。
最近の私は、もう一つの連載「世界を『数字で回してみよう』」の方で、コンピュータの中に大量の人間を作り出して、その人間一人一人に意思決定アルゴリズム(「人間の心」を模擬するもの)を組み込んで、シミュレーションを強行しています。
いつも、そのような人間の心理を組み込む時には、私独自のテキトーな設計で作っているのですが、これがどうにも「気持ち悪くて」仕方がないのです。
と言うのは、
(1)江端が勝手に想定した仮想世界で、
(2)江端が勝手に想定した仮想人間が、
(3)江端が勝手に作ったシナリオで動いているシミュレーション
―― こんなシミュレーションの結果を、一体、どこの誰が信じる? と私自身ですら思います。
私が作る仮想世界とその住人は、私の中では、私の思い通りの動きをするようプログラムされていると思うのですが、それは、大学の講義で教わった経済学(以下、「伝統的な経済学」といいます)人間のモデルとは、かなり違うようです。
江端の作る仮想世界の住人は、経済学が想定する人間のように合理的行動をしないのです。それは、なぜなのか ――。 私が、その様に作っていないからです。もし私が、この仮想世界の住人だったら、そんな合理的行動をするとは、到底思えなかったからです。
この私のジレンマに対して、何か突破口となるものがないだろうか、と思って、調べてみたものが「行動経済学」です。
やっぱり、私の学んだ伝統的な経済学の人間モデルが、私の想定する人間モデルと一致しないことについて、行動経済学も深く切り込んでいるようです。
では、伝統的な経済学では、なぜそのような、超合理的、超自制的、超利己的な人間を想定しなければならなかったのでしょうか。
(そういう人間を想定しないと)計算が面倒くさくなる上に、為政者(首相とか大臣とか)に説明もしにくくなる ―― どうも、この一言に付きるようです。
まあ、私のように1億人全員分のオブジェクトをコンピュータの中に作って計算するようなことは、コンピュータのない時代はもちろん、当時のスパコンでも無理だったと思いますので、人間モデルを単純化することは、ある意味、仕方がなかったのかもしれません。
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