新規事業開拓のために、これまで多くの日本企業がシリコンバレーのベンチャー企業と、投資を含む戦略的提携をしてきた。だが、これまで失敗した企業が多かったのも事実だ。失敗の要因を探ると、幾つかの共通点が見えてくる。
⇒「イノベーションは日本を救うのか 〜シリコンバレー最前線に見るヒント〜」バックナンバー
読者の皆さま、お久しぶりです。前回の「ジャパンパッシングを経て、今再び日本に注目するシリコンバレー」から、やや間があいてしまい、すみません。実は昨年末、久しぶりにひどい風邪をひいてしまいました。鼻水がザーザーと滝のように止まらず、高熱にうなされ、咳もコンコン出て、ろくに動けない毎日が続きました……。日本列島も大寒波に襲われています。皆さまも体調には気を付けて、暖かくして過ごしてください。
さて、全快したところで早速本題に入りたいと思う。本連載の第20回「ベンチャー企業の“典型的な失敗”に学ぶ、成功への要素」では、米国のベンチャー企業における“典型的な失敗例”を取り上げた。
今回は、日本企業に焦点を当ててみたい。これまで幾つか取り上げてきたように、日本企業もシリコンバレーのイノベーションエコシステムの活用や北米企業との戦略提携においては、多くの企業が失敗しているのも事実だ。
日本企業がオープンイノベーションやコーポレートベンチャリングにより、シリコンバレーのイノベーションシステムを活用して事業拡大や新事業創出をしていく場合の方法論や課題については、今後本連載で詳しくお伝えしていく予定だが、今回は具体的な日本の失敗パターンを見てみよう。
1985年のプラザ合意以降、対ドル円高が急激に進み、日本から見ると何でも安く見える時代が1990年代半ばまで続いた。不動産を中心としたバブル経済が進行したのもこの時代である。一方、鉄鋼、造船、化学、重工業など多くの重厚長大産業は成熟期(低成長時代)に入り、さらなる成長のために多角化を目指していた。
この多角化を実現する方法として、多くの日本の大企業が北米のベンチャー企業との戦略的提携を進めることになった。筆者は、ちょうどその時期シリコンバレーにAZCA, Inc.を設立したので、多くの知り合いから、「You are in the right place at the right time.(適切な時期に、適切な場所にいるね)」と言われたものである。
ではなぜ、北米ベンチャー企業と提携した、もしくは提携しようとした日本企業が失敗に至ってしまったのだろうか。これまで多くの提携交渉の現場を見てきた筆者なりの見解として、次の7つが要因として挙げられると感じている。
(1)「飛び地」に入ろうとして失敗
(2)日本の本社と意思疎通がうまくいかない
(3)ベンチャー企業との意識のずれ
(4)日本企業はスピードが遅い
(5)案件に対する過度な期待
(6)リスクに対する考え方が曖昧
(7)資金の使い方と位置付けが困難
1つ1つについて、詳細を説明していこう。
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