さて、ここで1つの疑問が生じます。
私は前々回のコラムの冒頭で、『帰宅時に、駅のホームで泥酔して駅のホームを、ふらふらと歩いている男性を見ても、「その男性をずっと見守って、ホームに落ちていく様(さま)を、じっくりと観察する」』という、私のスタイルを開示しました。
では、自殺の準備をしているさなかの人(せっせとロープを吊している人とか、飛び降りのタイミングを図っている人とか)を、止めることなく、そのまま観察し続けたら、罪になるのだろうか、ということです。
助ける・防げる立場の人が何もしなかったことによって発生した犯罪を「不作為犯」と呼びますが、さて、私は不作為の罪に問われるのでしょうか?
さらに、前述のように、「首吊り自殺『苦痛』計測プロジェクト」を立ち上げようとしている、私とその研究チームは、自殺の幇助(サポート)に該当するでしょうか?
さらに一歩進めて、もし私が「自殺コンサルタント業」を開始したとしたらどうでしょうか?
「正しいロープの使い方と、自宅でのロングドロップ式の実現方法」とか、「致死に至るための市販薬の混合使用方法」とか、「最短時間で窒息に至る七輪の使い方」とかをアドバイスするビジネスです(この連載始めてから、この手のいろいろな技術情報がたくさん集まっています)。
もちろん、このような不作為や実験やビジネスが、人道的、道徳的にアウトなのは分かっていますが、私が知りたいのは、法律論のロジックです。
皆さんのご意見をお待ちしたいと思います。
実は、今回の内容の7割方は、先月に執筆したものでした(鉄道運行に関する法律や政令の調査は、今回新規追加したもの)。前回の分と合わせて、これをEE Times Japan編集部に提出したところ、編集担当者のMさんから、
『江端さん、今回も大変素晴しい作品でした。ところで、内容をスッキリさせるために、今回分は、2回分にしませんか?』(江端意訳:「江端さん、長い」※編集注)バレていたのですね……)
と言われ、後半を今月分に回したのです。
なにしろ、私に神が降りてくると、執筆量を自分ではコントロールができなくなるものですから。
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