さて、ここからが本論です。
今回も、前回の後半と同じく、Twitterのコメントを片っ端から回収して、コメントのテキスト分析を行いました。その結果、
私たちは、「飛び込み自殺」の当事者よりも、「ケンカ」による当事者を、許せない
ということが分かってきました。
今、私は12月1日(「ケンカ」の方)のTwitterのメッセージを片っ端から読んでいるのですが、前回と同様に、全てのメッセージが怒りで真っ赤になっている、という程ではありませんでした。
しかし、それでも、Twitterの投稿数は実に3倍以上となり、さらに「死ね」を伴うメッセージも1.5倍になっていました。Googole検索でのヒット数に至っては、実に4倍です。
当初は、「ケンカによる遅延」に巻き込まれた人数に違いがあるかと思ったのですが、2つのトラブルによる遅延被害を受けた人数は、おおむね同数、多くても2倍にはならないと見積もりました*)。
*)鉄道の遅延の影響は自動車の渋滞とは異なり路線全体に均一に波及しやすいこと、輸送人員は毎日安定していること、2つのトラブルの発生時間はほぼ同時間とみなせること、その他、各種の資料(参考資料1、参考資料2など)から、輸送人数をざっくり推定
また、TwitterよりGoogleの方が、メッセージは「ケンカの当事者への恨み、怒り、憎悪」の記述が多かったように思います。なにしろ、遅延に巻き込まれていない人まで、書き込みをしていたくらいですから。
これは、「人身事故」ではツイートしない人でも、今回の「ケンカ」についてはツイートしたと見なしていいと思いますし、今回の事件では「ケンカした奴、死ね」は、筋の通った批判(非難)であると言えます。
今回の、2つのトラブルの比較によって ―― 1つの仮説に過ぎませんが ―― 私たちは、「飛び込み自殺」を社会的に認容しはじめている、あるいは、社会の構成要素の1つとして、諦めを伴いつつ「飛び込み自殺」を取り込み始めている、と考えることもできるのかもしれない、と思い始めています。
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