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» 2016年12月12日 11時30分 公開

物理シミュレーションで知る「飛び込みコスト」の異常な高さ世界を「数字」で回してみよう(37) 人身事故(11/11 ページ)

[江端智一,EE Times Japan]
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「絶滅収容所の看守をやっていけるのは、江端さんくらいです」

後輩:「あれ? 江端さんが物理シミュレーションの作業内容やデータ、全部消えていますね」

江端:「うん。担当さんに、半ページ分、バッサリ削られた」

後輩:「ああ、まあ、そりゃそうですね。あれは出せませんよ。酷すぎます。公序良俗の観点からも、編集部の判断は正しいと思います」

(なお、本連載シリーズの、編集前の生原稿は、アンケートに応じてくださった方にだけ、非公開を条件として、先行送付させていただいております(アンケートの申し込みについては1ページ目をご参照ください))

江端:「うん、まあ、そのことは、どうでもいいんだ。というか、それ以上に今回は、『自分自身にショックを受けた』方が大きかったかな」

後輩:「と、いいますと?」

江端:「いわゆる人身事故の写真とかを見ていて、最初は、強烈な嫌悪感とか嘔吐感で、目がくらみそうなったんだけどね……」

後輩:「『そのうち、慣れてしまった』と」

江端:「それだけの話なら、それほどショックを受けなかったと思うんだけど」

後輩:「引っ張りますね。一体、何ですか」

江端:「電車に粉砕された肉体が飛び散る方向や速度を、エクセルで計算しはじめた途端、人間の肉体がただの計算対象になったんだ。嘔吐感も嫌悪感も、きれいさっぱり消え失せて、ただ計算に没頭している自分に、ふと気がついて、戦慄(せんりつ)を覚えたよ」

後輩:「ああ、なるほど。つまり、江端さんは、自分が絶滅収容所の看守になったかのような気分を味わったわけですね」

江端:「例えば、この心理状態になるのに、1週間とか1カ月とかの時間がかかったなら、『心理的なマヒ状態になったのだ』と自分に言い訳ができたかもしれないが、たった1日で、このザマだぞ。これって、私の中に、非人道的な属性が多く含まれているってことじゃないか?」

後輩:「何を言っているんですか。『江端さんが、非人道的』なんて、今さら、そんな自明なこと、論じるまでもないじゃないですか」

江端:「そうじゃない! 私が『常識的な考え方からは離れがちである』ということは、昔から言われ続けてきたので、その点についてもう争う気はない。ただ、私が、すごくショックを受けたのは、私は、その気になれば、たった1日で、アウシュビッツ強制収容所の事務局を運営できるかもしれない、という事実に気付かされたことだよ」

後輩:「江端さん。ご存じかもしれませんが、人間のモラル(倫理)というのは、かなり簡単に上書きや変更できるものなんですよ。基本的に、『対象を無体物化』したり、『他人のせい』とかにできれば、モラルなんぞ風前のともしびですよ

江端:「『対象の無体物化』というのは、今回の物理シミュレーションのように、数値化や物理法則の対象とすることで、対象のイメージを変質させること、だな」

後輩:「そうです」

江端:「では、『他人のせい』というのは?」

後輩:「ひと言で言えば、『私ではない。上官の命令だ』ですよ。判断したのは『上官』であり、『私』ではない、という思考停止の典型例です。モラルは、責任転換や組織のヒエラルキーだけで簡単に吹き飛びます。これにあらがうことは、とても難しいです。ご存じでしょうが」

江端:「あったなぁ、そういう話。アドルフ・アイヒマンが、『絶滅収容所での(虐殺)行為は、“国内法に基づく行政上の手続き”だった』と言った、という話を思い出したよ」

後輩:「まあ、私たちも似たようなものですよ。『私が残業したのではない。上司や会社の命令が、私に残業をさせるのだ』といいながら、労働基準法に違反する残業を続け、続けさせられ、最悪、うつ病、そして自死に至っているという事実は ―― 残念ながら、この思考停止の一態様ではあるでしょう」

江端:「なるほど、つまりこう言いたいわけだな。私たちは、誰でも、条件さえそろえば、絶滅収容所の看守になれるような潜在力を持っているのだ、と」

後輩:「いや、絶滅収容所の看守をやっていけるのは、江端さんくらいですよ。そもそも、普通の人間が、人身事故のリアルタイムシミュレーションなんかやると思います? 悪趣味ですよ。『江端さんは最低な人間』、ただ、それだけのことです」

江端:「……相変わらず、本当にひどいな。お前って奴は」


⇒「世界を「数字」で回してみよう」連載バックナンバー一覧


そういえば、本シリーズのイラスト作成用に白衣を購入しました。こんなポーズの(自分の)写真を撮りながら、イラストを作っています。家族からもなかなか好評です。



Profile

江端智一(えばた ともいち)

 日本の大手総合電機メーカーの主任研究員。1991年に入社。「サンマとサバ」を2種類のセンサーだけで判別するという電子レンジの食品自動判別アルゴリズムの発明を皮切りに、エンジン制御からネットワーク監視、無線ネットワーク、屋内GPS、鉄道システムまで幅広い分野の研究開発に携わる。

 意外な視点から繰り出される特許発明には定評が高く、特許権に関して強いこだわりを持つ。特に熾烈(しれつ)を極めた海外特許庁との戦いにおいて、審査官を交代させるまで戦い抜いて特許査定を奪取した話は、今なお伝説として「本人」が語り継いでいる。共同研究のために赴任した米国での2年間の生活では、会話の1割の単語だけを拾って残りの9割を推測し、相手の言っている内容を理解しないで会話を強行するという希少な能力を獲得し、凱旋帰国。

 私生活においては、辛辣(しんらつ)な切り口で語られるエッセイをWebサイト「こぼれネット」で発表し続け、カルト的なファンから圧倒的な支持を得ている。また週末には、LANを敷設するために自宅の庭に穴を掘り、侵入検知センサーを設置し、24時間体制のホームセキュリティシステムを構築することを趣味としている。このシステムは現在も拡張を続けており、その完成形態は「本人」も知らない。



本連載の内容は、個人の意見および見解であり、所属する組織を代表したものではありません。


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