後輩:「今回のコラムで、ようやく『老後2000万円問題』について、概要を理解できました。ありがとうございました」
江端:「レポートの出所や、省庁や大臣の関連をトレース(追跡)するのが大変だったけど、大きくは間違っていないと思う」
後輩:「しかし、この問題、ポジティブに考えれば『月に5万円の収入を確保できれば、なんとかなる』とも言える訳ですよね」
江端:「まあ、体が元気で健康であるうちなら、あまり心配しなくてもいいのだろうけど、それが、いつまで続くか、まるっきり分からないから『高齢者』なんだよなぁ」
後輩:「最近、スーパーマーケットで働いている高齢者のニュースとか見るんですけど、なんか、よく見てみると、なんか、普通の若いアルバイトとは異なる雰囲気を感じることがあって……」
江端:「あ、それ分かる。この人、明らかに、大きな会社の社長や重役クラスの人だったに違いない、と感じさせるようなオーラが見えるのだよね。しゃべり方とか物腰とか」
後輩:「なんというか、動き方を見ていても、非常に合理的に動いていて ―― 野菜の運搬や配列にすらムダがない ―― 働き方に、ある種の”インテリジェンス”を感じるんですよね」
江端:「あ、それ分かる。多分、そのような人たちは、”5万円の収入”が目的ではなく、”適度な運動による健康管理と、社会との没コミュニケーションの回避”を目的とした、有意義なリタイア後のライフを作っているのだと思う」
後輩:「憧れますねえ、そういう老後」
江端:「まったくだ。私も、”効率的な商品の配列”とか、”余裕のあるクレーマ接客”とかができる、『知的シニアワーカー』を目指したいものだ」
後輩:「後半の、ソーシャルキャピタルの話も、非常に興味深かったです。実は私、最近町内会会長になったのだけど、”正”会長をやらされるようになってからは『ソーシャルキャピタル、爆上がり』ですよ」
江端:「ほう。それはどういう感じで?」
後輩:「町内会の”副”会長をやっていた時には全く感じなかったのですが、”会長”になった時から、いきなり地域やらPTAやらの案件が、矢のように飛び込んでくるようになって、あれよあれよと言う間に、地域ネットワークの人間関係の渦の中、といった感じです」
江端:「それは、人間関係が”メタル”から”光ファイバ”に交換されるような感じ?」
後輩:「というか、知らない人間が、自分の中のメモリに勝手にインストールされていく感じ、ですかね」
江端:「”ソーシャルキャピタルの自動構築”?」
後輩:「それ以上かなぁ。町内の人が、私ごときに、丁寧にあいさつをしてきて、敬意を示されるのは、もちろん悪い気分ではありませんし、さまざまな組織の人たちと会話ができるのも、それはそれで良いことですが、なんかゲームで『チート*)』をしているような『後ろめたさ』があります」
*)チート:いかさま、ごまかし、詐欺、不正行為
江端:「せっかく獲得したソーシャルキャピタルなのだから、それは大切に維持しつづければ良いと思う」
後輩:「江端さん。そういう、"自動構築されるソーシャルキャピタル"は、負の要素も山ほど含んでいるんですよ。ソーシャルキャピタルの中には、『もう、どうしようもない人間』というものも入り込んでくるわけで、こいつらは、明らかに、"負の資本"ですよ」
江端:「なるほど、ソーシャルキャピタルは、その種類を取捨選択できないのか。それは厄介だな」
後輩:「で、そういう、『もう、どうしようもない人間』の中には、『オレは、オレは』というやつがいるんですよ。とても簡単なことを、わざわざ難しくして、それをこなせる自分はエラい、と人に思われたい阿呆がいて ―― これが、もう本当にうっとうしい」
江端:「まあ、私たちエンジニアは、問題を最小コスト&最短時間で解決するアプローチを、徹底的に教育されているからなぁ。そういう不合理に対応するのはつらいよね ―― まあ、私の場合、それが理由で、町内会とは、すっかり切れちゃったのだけど」
後輩:「とはいえ、ソーシャルキャピタルは、安全保障とも言えますので、こういう阿呆の”負の資本”の存在を考慮しても、全体としては、プラスと言えるかもしれません」
江端:「確かに、自宅で倒れていても、誰かに助けてもらえる可能性は、格段に高くなるしなぁ」
後輩:「そういうことを、冗談ではなく、真面目に話さなければならない年齢になりましたねえ……お互いに」
江端:「今の話を聞いていると、ソーシャルキャピタルの恩恵を得るためには、”副”会長では足りず、”正”会長にならなければならない、と聞こえた。つまり、ソーシャルキャピタルにおいてすら、「資本の集中*)」が発生している、ということだよね」
*)簡単に言うと、「お金持ちは、よりお金持ちになりやすい」ということ
後輩:「そうですね。一部の限られた人間のみが、キャピタル(資本)や、ソーシャルキャピタル(社会関係資本)の恩恵を得られる ―― というのは事実かもしれません」
江端:「私は、『老後2000万円問題を、ソーシャルキャピタルで逆転する』よりも、『スーパーマーケットの裏方で、上手に野菜の運搬をさばく老後』の方がいい―― うん、私は、『目指せ、知的シニアワーカー』で行くことにする」
江端智一(えばた ともいち)
日本の大手総合電機メーカーの主任研究員。1991年に入社。「サンマとサバ」を2種類のセンサーだけで判別するという電子レンジの食品自動判別アルゴリズムの発明を皮切りに、エンジン制御からネットワーク監視、無線ネットワーク、屋内GPS、鉄道システムまで幅広い分野の研究開発に携わる。
意外な視点から繰り出される特許発明には定評が高く、特許権に関して強いこだわりを持つ。特に熾烈(しれつ)を極めた海外特許庁との戦いにおいて、審査官を交代させるまで戦い抜いて特許査定を奪取した話は、今なお伝説として「本人」が語り継いでいる。共同研究のために赴任した米国での2年間の生活では、会話の1割の単語だけを拾って残りの9割を推測し、相手の言っている内容を理解しないで会話を強行するという希少な能力を獲得し、凱旋帰国。
私生活においては、辛辣(しんらつ)な切り口で語られるエッセイをWebサイト「こぼれネット」で発表し続け、カルト的なファンから圧倒的な支持を得ている。また週末には、LANを敷設するために自宅の庭に穴を掘り、侵入検知センサーを設置し、24時間体制のホームセキュリティシステムを構築することを趣味としている。このシステムは現在も拡張を続けており、その完成形態は「本人」も知らない。
本連載の内容は、個人の意見および見解であり、所属する組織を代表したものではありません。
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