1981年に赤崎氏は名古屋大学に移り、GaNの結晶性の改善に取り組みます。そして1985年2月(論文発表は1986年)に、赤崎研究室に所属していた天野浩氏(当時は名古屋大学大学院修士課程2年)の献身的な働きにより、高品質な単結晶の作成に成功します。作成したGaN単結晶は従来とまったく異なり、クラックもピットもなく、表面は平らで、結晶欠陥の面密度は2桁減少し、残留ドナー密度(単位体積当たり)は4桁減少し、電子移動度が20倍以上も向上していました。
ブレークスルーのきっかけは成膜技術の変更と基板の選択でした。それまでの主流だったHVPE(Hydride Vapor Phase Epitaxy)法(ハイドライド気相成長法)ではなく、MOVPE(Metal-Organic Vapor Phase Epitaxy)法(有機金属気相成長法)を成膜技術に選択しました。HVPEに比べるとMOVPEは結晶薄膜の成長速度が低く、品質を制御しやすかったのです。
基板にはサファイアを選択しました。検討したのはほかに、シリコン(Si)とガリウムヒ素(GaAs)、炭化ケイ素(SiC)です。Si基板は原料との共晶反応(ガリウムあるいはアンモニア(NH3)がSiと反応)が発生すること、格子定数が0.543nmと長く、GaNの0.318nmとはズレが大きすぎることが問題となりました。GaAs基板は高温処理に耐えられないという弱点がありました。
SiC基板とサファイア基板はアンモニアと反応しない、高温処理に耐えるといった優れた性質があったものの、SiC基板にはコスト(基板の価格)が恐ろしく高いという大学にとっては許容しがたい欠点がありました。このため、サファイア基板を採用したのですが、サファイア基板も大学にとっては非常に高価であり、購入した基板を16枚にカットして成膜実験に利用していました(出所:天野、福田、「天野先生の「青色LEDの世界」」、講談社ブルーバックス、2015年9月発行)。
なお、名古屋大学の赤崎研究室で、サファイア基板へのGaN成長実験(成膜と評価、記録など)は主に天野浩氏(1982年4月から学部4年生、1983年4月から修士課程、1985年4月から博士課程)が担当していました。指導教官が赤崎先生、指導を受ける学生が天野氏、という関係です。工学部の実験系研究室に所属したことのある方はお分かりでしょうが、手足となって働きつつ頭も使うというのが研究室の学生であり、指導教官が自ら実験に関わるということは、ほぼありません。
話題を戻します。MOVPE法とサファイア基板の組み合わせでも、GaNの結晶品質は低いままでした。GaN結晶とサファイア基板では原子間距離の違いが約16%と大きく、GaNはサファイア表面に多数の小さな島(成長核)が生じて成長します。その結果、GaNの成長膜は単結晶とならずに多結晶となってしまうのです。
そこでGaNをサファイア表面に直接成長させるのではなく、原子間距離の違いを吸収するバッファ層を設けることにしました。バッファ層にはGaNと同じ窒化物の窒化アルミニウム(AlN)を選んでいます。赤崎氏はGaNの前にAlNを松下技研で研究していたことと、赤崎研究室ではAlNの成膜も手掛けていたので、採用しやすかったと思われます。AlNとGaNの間には格子定数(a軸方向)の違いが2.2%ほどあるので、AlNバッファ層があまりに高品質だと格子不整合が悪影響を及ぼす恐れが少なくありません。
そこで薄い(厚みは100nm)AlNバッファ層をまず比較的低い温度(500℃前後)で成長させます。次に基板の温度を1000℃に上昇させるとともに、GaNを成長させる。成長技術はいずれもMOVPE法です。この「低温バッファ層(低温緩衝層)」技術により、従来と比べて飛躍的に品質の高いGaN結晶を世界で初めて作成しました。1985年2月(天野氏は当時、修士課程2年)のことです。
(後編に続く)
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