後輩:「江端さん。私はいつまで、この不快なレビューを続けなければならないでしょうか」
江端:「うん、そして、私は、いつまでこの苦しいコラムを執筆し続けなければならないのだろうか」
後輩:「辞めればいいじゃないですか。そんなにEE Times Japanの編集部が怖いのですか?」
江端:「いや、逆。次のシリーズまでの構想期間中は、しっかり休息を取るように言われた」
後輩:「休息を命じられるほどキツかったんですか?」
江端:「実際、この『人身事故シリーズ』で、結構、私の心も病んでいたらしくてね……、今回の物理シミュレーションでは、ついに眠れなくなった。今週末は、ビール→精神安定剤→日本酒→睡眠導入剤→ウイスキーで、ようやく少しだけ眠った」
後輩:「あ……あなた、アホですか、江端さん」
江端:「いや、当初は、飛び込み自殺のデータ解析くらいの話になるだろうと思っていたんだけどねー。いつの間にか、いろいろな「人身事故」のリアルな情報を集めてくれる人たちが集って、いろいろな仮説を考えてくれて、今回に至っては、現職のお医者さんまでがレポートまで送ってくれて……」
後輩:「で?」
江端:「そりゃ当然、頑張るよね。これだけ応援もらえば、命削ったって、計算もコーディングも執筆もするよね」
後輩:「あのね、江端さん。週末エンジニア兼ライターが、過労死なんてシャレにもなりませんよ。もし江端さんが、電車に飛び込んだりしたら、日本中が大爆笑ですよ。分かっています?」
江端:「肝に命じているよ。えっーと……、では、本論に入ろうか。今回のお題は『痛みの客観化で、自殺を止められるか』だったな」
後輩:「今回の江端さんのコラム読みましたけど、最初から最後に至るまで一貫して『不快』のひと言に尽きます」
江端:「いや、そうじゃなくて、『自殺を止められるか』の話」
後輩:「だから、そう言っているじゃないですか。『不快』なだけで、それ以外の何もないって」
江端:「ええー、そうなの? 命削って執筆しているのに?」
後輩:「江端さんが、命を削ろうが、鉛筆を削ろうが、鰹節を削ろうが、そんなことは関係ありません。そりゃ今回の検証には迫力あります。物量や質、共に最高です。しかし、仮説や事実の積み重ねが、自殺を思いとどまらせることができるかと問われれば、『それは無理だろう』と思うんですよ」
江端:「アプローチに工夫をしていることには、気がついているんだろう?」
後輩:「ええ、もちろん。『主客の転換』ですよね」
江端:「『あなたがいなくなると悲しむ人がいますよ』とか『命は神様の贈り物ですよ』とか、第三者の視点から語っても、自殺は止められない」
後輩:「その通り。他人がどう思おうと、感じようとも、それはしょせん、他人のものですからね」
江端:「ある宗教は、命は神からの贈り物であり、人間にはその贈り物を最大限利用する責務があると説いているけど、『笑わせるな。贈り物なら、きちんと品質保証した物をよこせ。持ち主が苦痛に苦しむような品質の贈り物なら、最初からよこすな』って、私は、これからも言い続けるぞ*)」
*)江端さんのひとりごと「一本の骨」
後輩:「で、江端さんは、今回、神様でも、他人でもなく、『自分』を主体に置いて、『生きている苦しみ v.s. 自殺のプロセスの苦痛』として問題を再構成したんですよね」
江端:「そう。そして『生きている苦しみ < 自殺のプロセスの苦痛』の不等式が成立すれば、自殺は止められるんじゃないかなー、と」
後輩:「問題は『そこ』です。不等式の計算ができるような理性的な思考ができる状態にある人が、自殺を試みますかね?」
江端:「うーん……」
後輩:「江端さんが、事実とロジックを積み重ねれば積み重ねるほど、死にたいとい思う人の心から、どんどん遠ざかっていくんじゃありませんか?」
江端:「そうかな……」
後輩:「私も分かりませんが、『痛み』では、まだ足りないような気がするのです」
江端:「では、『痛み』以外に、何か考えられるか?」
後輩:「……そうですね。あえていえば『エロ』ですかね」
江端:「はい?」
後輩:「いえ、正確には『官能小説』です。『官能小説』には、文字しか記載がありません。写真はもちろん、挿絵すらありません。しかし、『文字だけで読者を欲情させる』という、あの手法には、今回の問題に対するヒントがあると思うのです」
江端:「『官能小説』の手法で『自殺を止めろ』と?」
後輩:「もちろん、『官能小説』は1つのメタファですよ。私は単に『事実とロジックでは足りない』と申し上げているのです」
江端:「そりゃそうだろうけど……」
後輩:「自殺志望者に対して、『痛み』だけでなく、衝動とか、情欲とか、人間の官能的な何かに訴えるものがなければ、江端さんの望みを達成することは難しいと思うのです」
相変わらず厳しいことを言う後輩ですが、なるほど、一理あるとも思いました。
新シリーズにおいて、EE Times Japan編集部から「『エロ』を基軸とした数字コラム」という発注条件をいただければ、一応、私は検討します。
しかし「EE Times Japan編集部が、そういう、ムチャな発注をすることはない」と、私は信じています。(……。なるほど「エロ」か……。アリか? 編集部)
江端智一(えばた ともいち)
日本の大手総合電機メーカーの主任研究員。1991年に入社。「サンマとサバ」を2種類のセンサーだけで判別するという電子レンジの食品自動判別アルゴリズムの発明を皮切りに、エンジン制御からネットワーク監視、無線ネットワーク、屋内GPS、鉄道システムまで幅広い分野の研究開発に携わる。
意外な視点から繰り出される特許発明には定評が高く、特許権に関して強いこだわりを持つ。特に熾烈(しれつ)を極めた海外特許庁との戦いにおいて、審査官を交代させるまで戦い抜いて特許査定を奪取した話は、今なお伝説として「本人」が語り継いでいる。共同研究のために赴任した米国での2年間の生活では、会話の1割の単語だけを拾って残りの9割を推測し、相手の言っている内容を理解しないで会話を強行するという希少な能力を獲得し、凱旋帰国。
私生活においては、辛辣(しんらつ)な切り口で語られるエッセイをWebサイト「こぼれネット」で発表し続け、カルト的なファンから圧倒的な支持を得ている。また週末には、LANを敷設するために自宅の庭に穴を掘り、侵入検知センサーを設置し、24時間体制のホームセキュリティシステムを構築することを趣味としている。このシステムは現在も拡張を続けており、その完成形態は「本人」も知らない。
本連載の内容は、個人の意見および見解であり、所属する組織を代表したものではありません。
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