当時、筆者が部長に食ってかかった理由は2つありました。1つは先ほど書いたように、「ハード設計者でありたかった」からです。もう1つは、「出向期間の数年間が、ハード設計者としてのロスタイムになる」でした。筆者は半導体の専門家になるつもりはなかったし、ハード設計の面白さが分かってきた時期に、数年間ハード設計から離れることで、技術から取り残されたり、同期から後れを取ったり、後から入社をした人に抜かされたりすることが心配だったのです。
出向解除後は元の開発部門にハード設計エンジニアとして戻ったのですが、同期や、出向期間中に入社し配属となった後輩とは、技術/スキルレベルでは遜色ありませんでした。ハンダ付けの腕が少し落ちていたくらいです。これは、後れを取ることを心配していた当時の筆者が、物理を勉強しながら、電子回路の専門誌や新聞などで常に最新の情報を仕入れたり、定期的に同期や職場と連絡を取り合ったりしていたからかもしれません。
出向のデメリットを感じることなく、むしろ、メリット以上のものを感じたのは、職場に復帰してわずか1週間後でした。海外の特殊なデバイスの特性が分からず、どうやっても実装状態で性能が出ない。こんなトラブルでしたが、筆者は半導体の特性やプロセスに関してはそれなりのレベルになっていたので、バイアスのかけ方の誤りや実装状態のリードの長さやエアギャップのバラつきで、反射が起きていて周波数特性が伸びないなどがすぐに分かりました。
筆者の出向時代の昔話を延々と聞いてもつまらないでしょうから、このあたりにしますが、結論から言えば、出向期間中の数年間はこのように全く無駄にはなりませんでした。
それでも当時は、出向期間中に部長と会うたびに、「早く僕を戻してくださいよー」と言い続け、出向させられたことを恨むこともありました。「部長、あの時はすみませんでした。出向期間はロスタイムではなかったです」と言えるようになったのは、出向から戻ってきて、何年かたってからでした。それを聞いた部長は、ちょっと得意げに言ったものです。「そんなもんだ。若い時は遠回りしてもすぐに追いつける。そこでの経験に無駄なことは何もない」と。
当時と今は時代もずいぶんと違うので、同じようなことが当てはまるかどうかは分かりません。ただ、少なくとも本連載に登場する田中課長の世代は、多かれ少なかれ、筆者のような「鍛えられる経験」を積んで育ってきている人がいるものです。
それを、「昔はこうだった…」と得意げに話すのではなく、自分の若い頃を振り返り、成功体験ではなく、悔しかったことについて、ゆっくりと時間をかけて回想してみると、意外な発見が得られるかもしれません。案外、若手だった頃の自分は、いまどきエンジニアとそう大差ないかもしれませんよ。
なお、余計な話ですが、出向先の事務業務をしていた女性が後に筆者の妻となり、仲人は出向を命じた開発部長にお願いをしました。もう22年も昔の事です。
さて、次回は、エンジニアの配置転換などの人事異動、若手の転職についてお話をします。
世古雅人(せこ まさひと)
工学部電子通信工学科を卒業後、1987年に電子計測器メーカーに入社、光通信用電子計測器のハードウェア設計開発に従事する。1988年より2年間、通商産業省(現 経済産業省)管轄の研究機関にて光デバイスの基礎研究に携わり、延べ13年を設計と研究開発の現場で過ごす。その後、組織・業務コンサルティング会社や上場企業の経営企画責任者として、開発・技術部門の“現場上がり”の経験や知識を生かしたコンサルティング業務に従事。
2009年5月に株式会社カレンコンサルティングを設立。現場の自主性を重視した「プロセス共有型」のコンサルティングスタイルを提唱している。2010年11月に技術評論社より『上流モデリングによる業務改善手法入門』を出版。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.