ノルウェーで開催された、「Internet Engineering Task Force(IETF)」ミーティングから帰国するフライトでの出来事です。
満員の飛行機の中、隣はANAパックの新婚さん、私の真後ろの席は足で背もたれを蹴りまくるガキ、とゆっくり眠れるような環境にないことを悟った私は、一刻も早く眠気がやってくるようにと、ハルシオン(睡眠薬)を一錠口に放り込むと、ショルダーバッグから英語のドラフトを取り出して読み始めました。しかし、ドラフトの内容はまったく頭に入りませんし、眠気も一向にやってきません。仕方がないので、今度はショルダーバッグからウイスキーの小瓶を取り出すと、ミネラルウォーターで割って、ちびちびと飲み始めました。
国内で評判の高かった映画が機内で上映されることを知り、何の気なしに見ていたのですが、その内容のあほらしさ、陳腐さ、矮小(わいしょう)さに目まいがして、旅の疲れも相まって、どんどん気分が悪くなってきました。
最後まで見ればきっと面白くなるんだと信じて見続けていましたが、映画が終わった時点で、真剣に吐き気がしてくるほど気分が悪くなりました。あまりの気分の悪さに眠れなくなった私は、ハルシオンをもう一錠、ウイスキーの水割りで流し込みます。使用上の注意には、「絶対にアルコールと併用しないこと」と記載されていましたが、これまで、時々そのような使い方をしても問題が起きなかったので、私は特に気にしてはいませんでした。
そして、その時点から私の記憶はありません。今になって思えば、あれは「眠った」のではなく「気を失った」が、正しい状態だったのだと思います。
昏睡(こんすい)状態に陥った私は、飛行機が着陸態勢に入ったときはもちろん、着陸時の衝撃にも全く意識を回復しませんでした。隣の席の新婚さんに揺り動かされて、ようやく立ち上がった私は、その場で転倒しそうになりました。
何とか機外に出て、バッゲージクレームで自分の荷物をようやく見つけ、荷物を抱えて近くのベンチに座ったところで、完全に私は事切れます。
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「……お客さん、お客さん!」と声をかけられて目を覚ましてみると、そこは成田空港第二ターミナルの、ベルトコンベアが数台並んだバッゲージクレームエリア。奥行き200mはあろうかというその広大な空間には、人っ子一人いませんでした。恐る恐る声の方を見上げると、制服を着た入出国管理局の職員のお兄さん。
「どうかした?」と愛想のかけらもない声が広いロビーに響き、かすかにエコーしていました。私は自分が失神していたことに気がつき、お兄さんにわびを言って、出国手続きのゲートを抜けようとしましたが、そこで徹底的に荷物のチェックを受けることになってしまいました。
「なんでも好きなだけ調べてくれ!」と、ぼんやりとした頭で自分の荷物を見ているうちに、ゲートを追い出されて、私は右に左にふらふらしながら、待合エリアのベンチにたどり着きました。ベンチに座っていると、突然吐き気がこみ上げてきて、私は口を押さえながら何とかごみ箱の前にたどり着くと、激しく嘔吐(おうと)してしまいました。真っ昼間の午後3時のことです。
その後、成田空港第二ターミナル駅のホームで、さらに2時間近く気を失い続け(合計4時間、失神していた)、やっと乗った成田エクスプレスの中でも気分の悪さに目まいを感じつつ、なんとか横浜駅で下車、スーツケースの車輪がもげている事にその時初めて気がつき、スーツケースをずるずる引きずりつつ、ふらふらしながら乗り換えの電車を探したのでした。
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よくテレビなどで、麻薬を服用して検挙された後、服役して更正した人物が、「絶対に麻薬に手を出してはいけない」などと言っている場面を見ます(NHKに多い)。
もちろん、そういうセリフには迫力も説得力もあり、その人の言葉は世の中の役に立っているように見えますが、「麻薬に手を出してはいけない」などという、子供でも分かることをやり、しこたまひどい目に遭って、それで「本当にひどい目に遭うよ」と熱く語る姿は(繰り返しますが、私は有用だと思ってはいるのです)、要するに想像力が欠如していて、先人の反省を全く生かせなかった愚か者のように私には思えます。
「睡眠薬とアルコールを併用してはいけない」ということは、睡眠薬の使用上の注意に必ず書いてあるし、それ以前に「常識的にやってはいけないこと」と断言してもよいでしょう。
要するに、私という人間は、人の言うことからは学習せず、自分の行った失敗のみから学習する典型的な「想像力欠如人間」と決め付けてよさそうです。
あまりこの言葉は乱用すべきではないとは思いますが、こういう人間を、一般的に「馬鹿者」と呼びます。
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江端智一(えばた ともいち) @Tomoichi_Ebata
日本の大手総合電機メーカーの主任研究員。1991年に入社。「サンマとサバ」を2種類のセンサーだけで判別するという電子レンジの食品自動判別アルゴリズムの発明を皮切りに、エンジン制御からネットワーク監視、無線ネットワーク、屋内GPS、鉄道システムまで幅広い分野の研究開発に携わる。
意外な視点から繰り出される特許発明には定評が高く、特許権に関して強いこだわりを持つ。特に熾烈(しれつ)を極めた海外特許庁との戦いにおいて、審査官を交代させるまで戦い抜いて特許査定を奪取した話は、今なお伝説として「本人」が語り継いでいる。共同研究のために赴任した米国での2年間の生活では、会話の1割の単語だけを拾って残りの9割を推測し、相手の言っている内容を理解しないで会話を強行するという希少な能力を獲得し、凱旋帰国。
私生活においては、辛辣(しんらつ)な切り口で語られるエッセイをWebサイト「江端さんのホームページ」で発表し続け、カルト的なファンから圧倒的な支持を得ている。また週末には、LANを敷設するために自宅の庭に穴を掘り、侵入検知センサーを設置し、24時間体制のホームセキュリティシステムを構築することを趣味としている。このシステムは現在も拡張を続けており、その完成形態は「本人」も知らない。
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